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思考社

いんふるえんす我丞の情報発信基地。

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2024/05/21 (Tue)

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戻ってきました東京。

2009/09/30 (Wed)

故郷で過ごした時間は、生きているだけで幸せだと思える、そんな日々で、
この平安のためならあれやこれやは妥協してもええんちゃうか?と感じる事しばしば。
やさしい気持ちで生きていきたいなら、そこに居ればいいんですよね。
でも、学校がこっちにある以上、そうも言ってられない。

日々はとても煩雑で、面倒くさい同居人がいっぱいいて、頑張ってるやつらがいっぱいいる東京。
夏休みを、休むことに特化させた自分にはちょいと刺激的。

東京というのは、良くも悪くもたくさんネジを巻いてくれる場所。
たくさんの人がどこかを目指して、走る準備をしたり、矢印を立てたり、止まる事を知らない都市。

その空間でどんな風に生きるかは自由なのに、誰もかれもが走って行こうとするから、走っているから、自分も走りたくなる。あんなふうに全力疾走できたらいいと、手の届きそうな夢を見たりもする。
彼らに遜色ない戦いを、自分らしく、してみたいと。

不思議なのは、故郷の安全な柵の内側に居た頃、やっぱり戦いたいと思っていた事実。
自分は柵の中では息が詰まってしまうと、密かに武器を作るような奴だった。
そして、柵の中にはないルールこそが自分を生かすと思っていた。
そこでなら生きられると。

去年は、東京風に全力疾走してみた。
とても忙しかったけれど、失うものもあったけれど、納得できるような“報酬”があって、納得できない応酬もあって、くるくると変化する毎日に流されながら全力疾走していた。
たぶん、追い風が吹いてたんだろう。時々こけそうになったし。

けれどもし、忙しく戦っていることがきらきらなら、その心におだやかな幸せはあったんだろうか。
燃えるような喜びはあったとしても、愛する人の隣で息することに、ただ、喜べただろうか。

そうやって、戦おうとしていた自分を、きらきらしていると言った人がいる。
それは、ほんとに、自分のきらきらだったんだろうか。
自分は本当に、今まで自分の道を歩いてきたんだろうか。

みんなを示すGPSの赤い光点が、てんでばらばらに離れていく。

今は、立ち止っている。
きらきらしてないらしい。
視界を遮る優しい樹木と、
舗装された道路と、
自分の体力のなさに、
立ち止っている。

藪の中を走りだした人がいる。
ランドマークを見つけた人がいる。
鎌を手に歩む人がいる。
散歩するように進む人がいる。
たくさんの、たくさんの人がいる。

すべての行き方に、赤ペンはつかない。
そう知っているからこそ、歩き出せない。
空は見えていても、まっすぐに飛べない。
ヒトはこれを、臆病者という。

ただ呼吸するのも好き。
戦いながら生きるのも素敵。
それでも、私は幸せでありたい。

でもそんな一本道、どこにもないみたいだから。

だから、足掻こうと思う。
方向なんて決めなくていい。知らないままで行こう。
自分の道が見つかるのはきっと、もっと先の話だと仮定しておこう。
がむしゃらに歩いて、気分でくるっと向き変えて、鳥や花が誘うままに行こう。
ぐるぐる回ってまた戻ってくるかもしれない。
ま、それはそれでありだよ。

道は切り開くもんじゃなくて、歩いたところに出来るんだと、
いつか、笑って言える、能天気な奴になろう。
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たまには自分の話を

2009/09/21 (Mon)

誰に言われたのだったか、若いうちは自分探しはするなと言われた。
もしかしたら、同じ言葉を聞いた人がいるかもしれないね。身に覚えのある君は、今どういう風に生きている?
自分って何なんだろうと思って生きてる?
考えるのは面倒だからやめちゃったかな?

今日は、めったに考えない、自分というもの、ちょっと掘ってみようかと思う。

もしかしたらどえらい暗いコトになるやもしれないので、続きに隠しておくよ。

人類初のくちづけを探る

2009/09/20 (Sun)

えーっと。NHKみたいなタイトル着けちゃったけど、調査とかしてないから。
ノー調査、ノー文献・・・ん?ちょっと違うか。

一応Wikiの接吻という項目を視野に入れつつ、本日のテーマは
『人類で最初に唇と唇くっつけようと思った奴、ちょっと来いwww』。
↑数日前に某残念な人が提起してくれました。


歴史の上では、江戸だの太古だの、いろんなとこに接吻関連の記述があるようです。
が、しかし。そんなのは最近の話だ。
もっと昔もっと昔・・・

wikiによれば、“かなりワイルドに”だけど、サルもキスするらしい。
でもキスには意味がこめられてないらしい。
まぁ・・・人類じゃなくて、類人猿だからな。今回は対象外だな。

人類・・・一応2足歩行で火使って話し始めた類人猿あたりを想定。
相手もそんな感じの生物と想定。
彼らはまだ毛づくろいによるコミュニケーションとかしてたんだろうか。
どんなセックスをしてたんだろうか。
誰かにくちづけることは、どうして大事だったんだろうか。

ところで、他者との身体的コミュニケーションには、握手もある。手をつなぐのもアリだ。
でも握手には、くちづけ程のセクシャルな魅力は無い。
なんでって・・・
・体の末端だから
・体の外側だから
とかが理由ではないかと思う。

それに、手はいろいろな物に触れ、あらゆる用途に使われる。例えば、攻撃、防御、探索。どれもちょっぴり親和的でない意志が入る。
もちろん、誰か大切な人に向かって伸ばすのも、同じ手だ。
これがもうちょっと進むと、肩をたたいたり、抱きしめたりといった表現にもなるんだが、
要するに、スタート地点として、コミュニケーションはたいがい、末端から始まるのだろう。

体の部位で言うと、唇は体の中心線上にある。そしてまた顔や脳といった人体で重要なパーツと見なされるところにくっついている。つまり、唇は大事なものだ、というわけだね。

乙女が唇を大切にするのは、何となく理屈がありそうだ。
しかしねぇ・・・話が出来て、食べ物の入り口で、味わえる器官がついてるところを、なぜまたコミュニケーションに使うのか。使おうと思っちゃったのか。
機能と部位の面からだけ言うなら、体の中心線上にあって、体の内側に属して、自由意志で動かせるから口なのかなと思えるのだが、それだけだろうか?


そういえばさっき、キスを初めてした人類は「まだ毛づくろいによるコミュニケーションとかしてたんだろうか」って疑問があったな。
もし、大切な存在に“触れる”コミュニケーション方法が彼らの間に濃厚にあったとしたら、キスはとても自然な流れで始まったのかもしれないね。だって生き物は、自分の働きかけに反応があることを重要視するもの。背中をぺたぺた触ってるより、唇のほうが遥かに動きそうじゃないか。



そんなわけで、某残念な人、俺の分析ではこういう理由なんだが、納得してくれたかい?

「input」&「output」&「?」

2009/09/08 (Tue)

生物学的に言うと、人間というのは、実は進化しまくった筒であるらしい。
で、食べたり飲んだりすると、それが逆の筒先から出てくる構造になってる。

目に見えるモノがそうして、人間の身体に入って出てくるのと同じように、目に見えない音や、匂い、そして情報も人間の体の中に入ってくる。ま、音や匂いは目に見えないってだけで、物理的にどっかで消えてるんだろうね。

さて、今日の話題は、情報のインプットとアウトプット。
といっても、“情報がどこで消えてるか?”なんて考えてもしゃぁないですからね。もうちょい、俺の生活に関わるところの話をしましょうかね。

情報のインプット。例えば。
他者、自分が見たもの、聞いたもの、感じたもの。
↑は、直接的な情報の摂取。
それに比べて、
新聞、テレビ、ラノベ、ネット小説、漫画とかってのは
間接的な情報の摂取だと思う。

そういうあれこれを自分の中に取り込んで、生活している。
日々取り込んで生活している。
毎日毎日、ニュースで摂取して、友達と話して取り込んで、ニコ動見て取り込んで。

取り込んだ情報はいつの間にか体内で発酵したり、増殖したり・・・一部の人は腐ったりもしますね(苦笑)
とにかく、自分の中にあった別の情報と結びついて、新しい何かが生まれる。
それはもう、毎日毎日。気づかない所でもむくむくと。

・・・って日々過ごしてると、「取り込んでばかりじゃないか!そろそろ出そうよ!」
なんて思うことがある。
食事中の人には悪いけど、そーゆー時って、情報が便秘、みたいなもんじゃないかと。

栄養摂取し終わって要らなくなったのか、自分の中にあってほしくないのか、外に出したい塊ができている。
それを外界に出す。これが情報のアウトプット。

よしじゃあ、外に出してみようぜ!
ってなった時、人は色々な方法でそいつをを外に出してみる。

ただし、“自分が出来る方法”でしかアウトプットは出来ない。
だから、
凝り性の人間なんかだと、「コレを具現化するなら、あの方法でなきゃ駄目なんだよ!」っていってなかなかアウトプット出来ないし。
「私は物を作るのも物語を書くのも苦手だし、表現する手段がないわ。かといって人に話すのもしんどいし」て人もいるだろうし。
「やれるけど、時間とかお金とかなくて無理」って現実問題にぶちあたって止まる人もいるだろうし。

食べたら、出す。これは比較的簡単。
情報を摂取して、出す。上に挙げたように、これはちょっと難しい。

だけど、難しいとか面倒とか出しにくい、って理由で溜めこんでいたら、自分の中がゴミだめのようになってしまうんじゃないか?と思う事がある。インプットと、アウトプットのバランスが重要だろうと。

そうだね。食事と全く同じ仕組みならそうかもしれない。
入れた分だけ、形を変えて出す。
でもちょっと待ってよ、人間の記憶装置には、ブラックホールがあるじゃない。
ほら、あれだよあれ、
“忘れる”でしょ。昨日の夕食とか、自転車の鍵置いた場所とか。

この、“忘れる”という現象、
心理学者の中には「ほんとにまるっきり消えちゃうんだ」っていう人もいるし、「あるけど、結びつかないだけ」って言う人もいるし、なんとも謎。
謎だけど、人間の頭がパンクしないためには、すごい重要かもしれない。
たまに、大切な情報も吸いこんじゃう困ったブラックホールに変わるけどね。

なつかしき“生まれて”

2009/08/25 (Tue)

先日、友人から子供が生まれたと連絡が来た。
今日、名前が決まったと連絡が来た。

「おめでとう」と言う、その都度思うんだが、
命が廻っていくとは、すごいことだ。
すごいことだ。

静かに不思議に思う。
いったい、どうして2つの命が3つになるのだろうと思う。
生物の授業としてではなく、意志あるものがこの地上に増える
その不思議。
神様だろうか、定めだろうか、
それとも、生まれたい意志があるから、生まれるんだろうか。

「うまれる」とは受身形であると、現代文の授業でやった。
英語で言ったら“I was born.”。
ナナメ目線で読むことも出来なくはないけれど、
誰かが産もうとしてくれるから、生まれることができる。
生きたいと必死になるから、生まれることができる。

人は、一人で生まれることは出来ないんだと、
俺は、そう思う。

素敵じゃないか。

生まれたときから誰かと一緒に何かして、
出来ないことあったら頼って、
そうやって、いろんな人と関わってくんだと思う。


そっちこっちで流れに逆らってきた俺だけど、これには、流されてみたいなぁと思う。
思う・・・けど出来る気がしねぇのも確かな話orz

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我丞
性別:
非公開
職業:
人の話きく人
自己紹介:
人間27年生。
セクマイ道7年生くらい?
心理臨床とセクマイと発達凸凹を応援するよ!

ここにあることばと存在が、私のプロダクト。
見て、わからないことは聞いて。

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