思考社
いんふるえんす我丞の情報発信基地。
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愛することについてうだうだ1
『愛されたくて吠えて
愛されることに怯えて』
まったくもってその通りだ。
愛されたいんだ。愛の定義の示すところを知らず、それでも、僕らは愛されることを望む。
自らのすべてを受け入れて、好きになってくれる誰かを、僕らは心待ちにしている。
誰かに必要として欲しくて、その誰かが、自分の好きな誰かであってほしくて。
そうして一旦必要とされたならば、今度はその人を自分の元に繋ぎとめておきたくなる。
その人は自分が好きでいさせてくれる人だから。
自分の我儘を聞いてくれる人だから。
恋をするとはなんと我儘であることか。
傲慢であることか。
相手を所有し、相手に所有される。
その相互のパーセンテージの釣り合いは等しくなければ一方的なものとなり、恋とは呼ばれずに終わる。
あるいは、まったくもって相手に伝えられず、例え100%の声をふりしぼって叫んでも、相手から等質等量の感情を得られなくば、片恋と呼ばれ露と消えるか、狂って咲くか。
しかし、本当に等質等量でなければ恋とはならぬか。
はたまた、それは愛であるのだろうか。
否。そもそも、互いが互いに求めるモノからして違う。そのため、相手に求められる感情そして行動は別種のものとなる。ただ、相手を深く洞察し、理解しないかぎり、人間という生き物は、まず「オウム返し」に同じ行動によって返そうとする。よほど超越した人間でないかぎり、その自動的反射から逃れることはできない。あるいは、行動の経路そのものが違うか。いずれにせよ、一般とされる人間、そして“ほぼ同量”の相手に相対する欲求を持つ人間は、相手にされた行動をそのまま反射してしまう。
反射、というのには語弊があろうか。否、これでよかろう。
一説に、「人間は自分と対極にいる人間を伴侶とする」というものがある。これの原理となっているのは相補性であり、確かに、と思わせるものがある。反射、鏡写しであるならば、サイズは同じ、外見的形質は同じでありながら、やっている事は同じと見せかけてその実、逆を硝子一枚向こうで行うことができる。
自分でありながら、自分ではない、
自らの欠損を埋めるものを、人間は欲する。
しかし、それ以上をも同時に求め、彷徨う。
では、それ以上のもの、つまり自分を併呑した自らの片割れが、自らのキャパを飲み込む形で、さながら曼荼羅の白が黒を包むようにして、曼荼羅の勾玉の部分にしか満たない自分の前に立ち現れたら。
あるいはそれは、恐怖でしかないのかもしれない。
ゆえに、完璧なるものは忌み嫌われ、製造ラインから遠ざけられる。
以上の理論は、対人関係上利用すべきか否か。
自らと同じ行動をとってほしければ、このような理論は告げずに置くべきだろう。ただし、相手の自由意思、そして自由意思を見つめさせ、その者自ら導き出した行動を尊重したいのであれば、敢えてここで典型を示し、一般的行動原則に従わぬよう教唆するも一手。
と、私は思う。
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たかが授業。されど授業。
大学生のおぬし!
大学の授業料って、
授業1回=映画1回分(高校生友情割引、その他奇々怪々な割引なし)に匹敵するんだぜ!
って、まぁそれぐらい知ってるよな。
俺が久々に浮上してきて言いたいのは、もうちょっと傲慢なこと。
何が傲慢って、いや、ただ単に言い回しがアレなだけさ。
そーだなー。
ジャンルとしては、”自己中”ってのに入っちゃうんだろうか?
(悲しいけど、そうかもしれないな。)
とりあえず、訳わかんない独り言言ってないで、君に聞いてみたいことがある。
「大学の授業って、君にとって何?」
気が向いたら己の頭脳に問いかけてみてよ。
あ、一応答えないってのもありだ。黙秘権ーってやつ。
因みに、こういう場所で他人にぽつっと投げかけてみるからには、俺の中にもそのクエスチョンマークは浮かんだってことでさ。
余談のおまけで聞いてくれればいい。
俺の答えは、こう。
「大学の授業は、帝王学である」
この答えだよ。
改めて字面眺めて、何様だよ自分って思うんだけど、そうとしか思えないってのも事実でね。
例えば、
エネルギーの科学って授業を受けてるとする。
この地球上(たまに大気圏超える)の循環する環境に人間が手を加えて、掘り起こして、どえらい破壊なんかしちゃったりして。それについての、最新の情報を交えた、「ちょ、おい、これはやばいだろうwww」って言いたくなる授業だ。
ただひたすらに問題提起ばっかりなわけじゃないぜ?
先生は先生なりの考えがあって、文字だけじゃ頭に入ってこないような理論なんかもぶちこんで、「こういう方向に解決策があるかもよ」ってな事を解説してくれる。
こんなの、江戸時代のお百姓やってたら知りようもねぇな、って思うんだ。
自分とどこか遠いところで起こってる何かに、手を伸ばすまでもなく、知らない事で終わってたろうよ。
そんでもって、他の授業でも、政治、経済、人心の動きだとか、美術や文学、民俗学、哲学まで、幅広く学ばせてもらえる。しかも、自分の好みの方向を重点的に。
ローマ時代だったら、ほんと、上にいる奴らしか学んだり、見たり出来なかった事だよ。
ピラミッド中段から下の一般庶民にこの広い世界と状況を教える意味は、
今日の先生の名言を借りるならこうだ。
「この世界にたった一人で生きているくらいの意識」
あの時の話の流れは精神的な自立、ポジティブシンキングについてだったんだが、環境・エネルギー問題を主に扱う授業の中で聞いた一言は、
”たった一人で荒廃した地球に立っている、ただ一人の王様”
を瞬時にイメージさせた。
あー、つまり、あれだ。
『この世にたった一人、自分しかいなかったら、この世界は自分のモノだって思うだろ?そうしたら、どうしたって自分の世界を荒廃させたままじゃヤバイ、何とかしなきゃって必死になる。』
俺の中では、この”自分が責を負う事”ってのががポジティブシンキングの話に通じてるところでさ。
あー、待て待て勘違いするな。
責を負うって言っても、重暗い話じゃなくてだねぇ。
「自分がやらなきゃ誰がやる」
ってかんじの、前向きな責の負い方するんだよ。OK?
ただやっぱり、環境破壊とポジティブシンキングの間には違いがあってさ。
自分が自分の人生の責任を負う、それは身の丈に合っているように思える。
まぁ、何せ”自分自身”の範疇のことだからな。
だけど、”みんな”が住んでるこの世界は”自分”ではない。
”自分”じゃないものは管理の外だ。手なんか出すかよ。
って考えになるんじゃない?
それで皆様、諸手を隠して笑って見ていると。
ああ、なんか今直感的に理解したかも。
世界に一人というその状況、それが俺の中では、世界全てに“自分”の範囲を広げるイメージとだぶってたんだ。
この世界は自分だっていう、傲慢な意識は(認知的にはこの世界をこういう有様で捉えてる人間は確かに俺だけだから、「今見てる世界は俺のもんだ!」って言っても良いと思うんだけどそれはまたの機会に話すとして話を先に進めると、)ともすれば社会やら世間一般様に迷惑をかけるだけの代物でしかない。
だが、荒廃した世界を”自分”として背負い込む事が出来るのならば、見えない王冠を勝手に付けててもいいんじゃないかな?
あるいは、誰もがそうして世界に対する責任を感じることが出来るようになったなら。
くたびれて枯れかかってる青い球体も、ちょっとは僕らを許してくれるんじゃなかろうか。
さぁて。話をぐぐっと戻して、最後に一つ素朴な疑問を。
なんでこんなに多くの人が”帝王学”を学んでいながら、真剣に玉座について考えないんだろうな。
俺なんか、王冠転がってたら拾いたい気分なんだけどw
大学の授業料って、
授業1回=映画1回分(高校生友情割引、その他奇々怪々な割引なし)に匹敵するんだぜ!
って、まぁそれぐらい知ってるよな。
俺が久々に浮上してきて言いたいのは、もうちょっと傲慢なこと。
何が傲慢って、いや、ただ単に言い回しがアレなだけさ。
そーだなー。
ジャンルとしては、”自己中”ってのに入っちゃうんだろうか?
(悲しいけど、そうかもしれないな。)
とりあえず、訳わかんない独り言言ってないで、君に聞いてみたいことがある。
「大学の授業って、君にとって何?」
気が向いたら己の頭脳に問いかけてみてよ。
あ、一応答えないってのもありだ。黙秘権ーってやつ。
因みに、こういう場所で他人にぽつっと投げかけてみるからには、俺の中にもそのクエスチョンマークは浮かんだってことでさ。
余談のおまけで聞いてくれればいい。
俺の答えは、こう。
「大学の授業は、帝王学である」
この答えだよ。
改めて字面眺めて、何様だよ自分って思うんだけど、そうとしか思えないってのも事実でね。
例えば、
エネルギーの科学って授業を受けてるとする。
この地球上(たまに大気圏超える)の循環する環境に人間が手を加えて、掘り起こして、どえらい破壊なんかしちゃったりして。それについての、最新の情報を交えた、「ちょ、おい、これはやばいだろうwww」って言いたくなる授業だ。
ただひたすらに問題提起ばっかりなわけじゃないぜ?
先生は先生なりの考えがあって、文字だけじゃ頭に入ってこないような理論なんかもぶちこんで、「こういう方向に解決策があるかもよ」ってな事を解説してくれる。
こんなの、江戸時代のお百姓やってたら知りようもねぇな、って思うんだ。
自分とどこか遠いところで起こってる何かに、手を伸ばすまでもなく、知らない事で終わってたろうよ。
そんでもって、他の授業でも、政治、経済、人心の動きだとか、美術や文学、民俗学、哲学まで、幅広く学ばせてもらえる。しかも、自分の好みの方向を重点的に。
ローマ時代だったら、ほんと、上にいる奴らしか学んだり、見たり出来なかった事だよ。
ピラミッド中段から下の一般庶民にこの広い世界と状況を教える意味は、
今日の先生の名言を借りるならこうだ。
「この世界にたった一人で生きているくらいの意識」
あの時の話の流れは精神的な自立、ポジティブシンキングについてだったんだが、環境・エネルギー問題を主に扱う授業の中で聞いた一言は、
”たった一人で荒廃した地球に立っている、ただ一人の王様”
を瞬時にイメージさせた。
あー、つまり、あれだ。
『この世にたった一人、自分しかいなかったら、この世界は自分のモノだって思うだろ?そうしたら、どうしたって自分の世界を荒廃させたままじゃヤバイ、何とかしなきゃって必死になる。』
俺の中では、この”自分が責を負う事”ってのががポジティブシンキングの話に通じてるところでさ。
あー、待て待て勘違いするな。
責を負うって言っても、重暗い話じゃなくてだねぇ。
「自分がやらなきゃ誰がやる」
ってかんじの、前向きな責の負い方するんだよ。OK?
ただやっぱり、環境破壊とポジティブシンキングの間には違いがあってさ。
自分が自分の人生の責任を負う、それは身の丈に合っているように思える。
まぁ、何せ”自分自身”の範疇のことだからな。
だけど、”みんな”が住んでるこの世界は”自分”ではない。
”自分”じゃないものは管理の外だ。手なんか出すかよ。
って考えになるんじゃない?
それで皆様、諸手を隠して笑って見ていると。
ああ、なんか今直感的に理解したかも。
世界に一人というその状況、それが俺の中では、世界全てに“自分”の範囲を広げるイメージとだぶってたんだ。
この世界は自分だっていう、傲慢な意識は(認知的にはこの世界をこういう有様で捉えてる人間は確かに俺だけだから、「今見てる世界は俺のもんだ!」って言っても良いと思うんだけどそれはまたの機会に話すとして話を先に進めると、)ともすれば社会やら世間一般様に迷惑をかけるだけの代物でしかない。
だが、荒廃した世界を”自分”として背負い込む事が出来るのならば、見えない王冠を勝手に付けててもいいんじゃないかな?
あるいは、誰もがそうして世界に対する責任を感じることが出来るようになったなら。
くたびれて枯れかかってる青い球体も、ちょっとは僕らを許してくれるんじゃなかろうか。
さぁて。話をぐぐっと戻して、最後に一つ素朴な疑問を。
なんでこんなに多くの人が”帝王学”を学んでいながら、真剣に玉座について考えないんだろうな。
俺なんか、王冠転がってたら拾いたい気分なんだけどw
無事帰国いたしました
フィリピンより無事帰国いたしました。
(とはいっても食物の作用で下痢が止まらんのですが)
奇行文に関しては日記を元にぼつぼつ書いていこうと思います。
・・・とりあえず、はらいた治んないかなぁ。
(とはいっても食物の作用で下痢が止まらんのですが)
奇行文に関しては日記を元にぼつぼつ書いていこうと思います。
・・・とりあえず、はらいた治んないかなぁ。
ほこりの問題
さてはて、季節をほったらかしたら、いつの間にか夏になっちまったようだが、全国のお嬢さん方は元気だろうか?今年はどうも出先から帰ってこない、帰ってこれない人が多いようだね。
で、絶賛帰省中の俺ですが、
★25日から音信不通になるよ。
(今更何を)
無事帰ってこれるといいねぇ。
え?ああ、人生2度目の海外、フィリピンに行くのだよ。
観光じゃないけど、まぁなに、見聞ってやつ。
今日はその打ち合わせがあったのだが、話に聞くだけでも何やら面白そうな事ばかりではないか。異文化の匂いと味を楽しんで、そして色々な事を知ってこようと思うよ。
そう、それでだね。
聞いた話。フィリピンのシスターはエレキギターで聖歌を歌う。
高校生の時に見たシスターとは全然違うぜ。
踊るし、部屋にクーラーついてるし、海にも入るし。
聞いた話。住んでいた土地を、高速道路建設で追い出されようとしている民族が居る。
学校のない村だから、山から下りたら生きていけない。
そこに、職業学校を作ったらしい。
10代で自立する子も、シャイで、中身は子供。
聞いた話。カトリック信者が90%の国。
向こうにいる間は教会に泊めていただける。一泊2000円だってさ。
シスターが居ると荷物検査も「OK」だそうな。
そうそう、↑の学校、生徒はシスター方が調査して集めてくるんだ。
信仰が生活を統括している、そんな国らしい。
かつて日本が持っていた、柳田なんかが指摘した、『文明開化』前の精神。
生活の中に伝えるべき事がある、そういう生活が、観光と同じビーチに住む。
今、日本人は生活することを止めてしまったと、俺は思う。
俺流で『生活する』というのは、飯食って、寝る、仕事する、っていうのとはちょっと違う。
そうだなぁ。『生きるための活動』といったら、しっくりくるかな。
自分の身体が動くために、必要なことを自分でする。
例えば、
・食事を作る
・掃除、洗濯をする
・自分のテリトリーを管理する
とか、動物的、原初的な事をイメージしてもらえるかな?
これはだいぶ前から、俺らが中学生の頃から既に言われていた事ではあるんだけどさ。「外部化」とかって。教科書に載ってたの思い出してよ。
確かに、人間は"自分"の機能を外側に押し出し、作ることで発達してきたんだ。
道具、記憶、コミュニケーション、心の安定・・・etc
どれも自分の中に貯め込んでおくとキャパオーバーしてしまう。一人じゃ解決しようもない。だから外に作る。置く。
ま、初めから意図して外に置いた訳じゃないだろうけど、流れとしてはそういうかんじになるわけ。
ただ、ね?
器の中身をどこまでも外側に出したら、中身はどうなっちゃうのかな。
それも、身体という精神と不可分な、というよりむしろ、身体の認識があってこそ精神が成り立つわけなのだけれども。とにかくそういうものを、精神だけを意識して生きるって、ちょっと身体に失礼じゃね?暴挙じゃね?って思うわけで。
たとえて言うなら、
数字があることは知っているのに、数学も出来るのに、
そこに林檎が在ることがわかっていない、ような。
身体で認識し、それを脳味噌で処理する、そのニューロンを伝う伝達そのものの長さ早さが性格と関連していると言われるご時世に、自分の身体を知らないで生きているなんて、
俺は少し勿体ない気がするのだよ。
それから最後に。
聞いた話、バナナが完熟で、段違いに美味いらしい。
で、絶賛帰省中の俺ですが、
★25日から音信不通になるよ。
(今更何を)
無事帰ってこれるといいねぇ。
え?ああ、人生2度目の海外、フィリピンに行くのだよ。
観光じゃないけど、まぁなに、見聞ってやつ。
今日はその打ち合わせがあったのだが、話に聞くだけでも何やら面白そうな事ばかりではないか。異文化の匂いと味を楽しんで、そして色々な事を知ってこようと思うよ。
そう、それでだね。
聞いた話。フィリピンのシスターはエレキギターで聖歌を歌う。
高校生の時に見たシスターとは全然違うぜ。
踊るし、部屋にクーラーついてるし、海にも入るし。
聞いた話。住んでいた土地を、高速道路建設で追い出されようとしている民族が居る。
学校のない村だから、山から下りたら生きていけない。
そこに、職業学校を作ったらしい。
10代で自立する子も、シャイで、中身は子供。
聞いた話。カトリック信者が90%の国。
向こうにいる間は教会に泊めていただける。一泊2000円だってさ。
シスターが居ると荷物検査も「OK」だそうな。
そうそう、↑の学校、生徒はシスター方が調査して集めてくるんだ。
信仰が生活を統括している、そんな国らしい。
かつて日本が持っていた、柳田なんかが指摘した、『文明開化』前の精神。
生活の中に伝えるべき事がある、そういう生活が、観光と同じビーチに住む。
今、日本人は生活することを止めてしまったと、俺は思う。
俺流で『生活する』というのは、飯食って、寝る、仕事する、っていうのとはちょっと違う。
そうだなぁ。『生きるための活動』といったら、しっくりくるかな。
自分の身体が動くために、必要なことを自分でする。
例えば、
・食事を作る
・掃除、洗濯をする
・自分のテリトリーを管理する
とか、動物的、原初的な事をイメージしてもらえるかな?
これはだいぶ前から、俺らが中学生の頃から既に言われていた事ではあるんだけどさ。「外部化」とかって。教科書に載ってたの思い出してよ。
確かに、人間は"自分"の機能を外側に押し出し、作ることで発達してきたんだ。
道具、記憶、コミュニケーション、心の安定・・・etc
どれも自分の中に貯め込んでおくとキャパオーバーしてしまう。一人じゃ解決しようもない。だから外に作る。置く。
ま、初めから意図して外に置いた訳じゃないだろうけど、流れとしてはそういうかんじになるわけ。
ただ、ね?
器の中身をどこまでも外側に出したら、中身はどうなっちゃうのかな。
それも、身体という精神と不可分な、というよりむしろ、身体の認識があってこそ精神が成り立つわけなのだけれども。とにかくそういうものを、精神だけを意識して生きるって、ちょっと身体に失礼じゃね?暴挙じゃね?って思うわけで。
たとえて言うなら、
数字があることは知っているのに、数学も出来るのに、
そこに林檎が在ることがわかっていない、ような。
身体で認識し、それを脳味噌で処理する、そのニューロンを伝う伝達そのものの長さ早さが性格と関連していると言われるご時世に、自分の身体を知らないで生きているなんて、
俺は少し勿体ない気がするのだよ。
それから最後に。
聞いた話、バナナが完熟で、段違いに美味いらしい。
「なるはや」
バイトも、授業も、修羅場です。
つんでれの話を書こうと思っていたんだが、はっときたのでこっちを先に。
ビジネス用語にも流行ってのがあるらしく、傾向としてはギャル用語同様に“略す”らしい。
んで、最近よく聞くのが「なるはや」ってやつだ。
用例は
・「あー、ナニナニさん。それ、なるはやでお願いしまっす」
ってかんじ。
「なるべくはやく」>>「なるはや」だから
「べく」と「く」しか略せて無いじゃん!
ってのが批判家の言うところ。
しかし。
正直、今日の論点は略語許せますか?ではない。
注目すべきは
略された「べく」と「く」!
こいつらが何故捨て置かれたか。である。
簡潔に言おう。
「なるはや」
★kの音がなくなる。
★唇が閉じない。
この2点を持って俺は「なるはや」になったものと考える。
え、話が読めないって?
それなら、なるべくはやいスピードで「なるべくはやく」と数回口に出してみるといい。言いづらいから。
いやー、ビジネスマンてすごいね。
極力無駄を省く!このスピリットにかけて右に出るものはいないね。
しかしまぁ、省きすぎも良くないからね?
特に、“生活する”事をそっちのけにして仕事したって、“生活がメインディッシュ”の人間に通用するはずが無い。覚えておいて損は無いぜー。
つんでれの話を書こうと思っていたんだが、はっときたのでこっちを先に。
ビジネス用語にも流行ってのがあるらしく、傾向としてはギャル用語同様に“略す”らしい。
んで、最近よく聞くのが「なるはや」ってやつだ。
用例は
・「あー、ナニナニさん。それ、なるはやでお願いしまっす」
ってかんじ。
「なるべくはやく」>>「なるはや」だから
「べく」と「く」しか略せて無いじゃん!
ってのが批判家の言うところ。
しかし。
正直、今日の論点は略語許せますか?ではない。
注目すべきは
略された「べく」と「く」!
こいつらが何故捨て置かれたか。である。
簡潔に言おう。
「なるはや」
★kの音がなくなる。
★唇が閉じない。
この2点を持って俺は「なるはや」になったものと考える。
え、話が読めないって?
それなら、なるべくはやいスピードで「なるべくはやく」と数回口に出してみるといい。言いづらいから。
いやー、ビジネスマンてすごいね。
極力無駄を省く!このスピリットにかけて右に出るものはいないね。
しかしまぁ、省きすぎも良くないからね?
特に、“生活する”事をそっちのけにして仕事したって、“生活がメインディッシュ”の人間に通用するはずが無い。覚えておいて損は無いぜー。
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HN:
我丞
性別:
非公開
職業:
人の話きく人
自己紹介:
人間27年生。
セクマイ道7年生くらい?
心理臨床とセクマイと発達凸凹を応援するよ!
ここにあることばと存在が、私のプロダクト。
見て、わからないことは聞いて。
セクマイ道7年生くらい?
心理臨床とセクマイと発達凸凹を応援するよ!
ここにあることばと存在が、私のプロダクト。
見て、わからないことは聞いて。
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