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思考社

いんふるえんす我丞の情報発信基地。

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2024/05/21 (Tue)

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ただしいせいせいかつ! -オープンorクローズ-

2009/11/12 (Thu)

ゲイ、セクシャルマイノリティ、と聞くと、よくカミングアウト、という単語がついてくる。
よく聞くけど、当事者からするとカム(カミングアウトの略)て何?何が起こるの?てことを紹介します。

『カミングアウト』とは、
自分のセクシャリティを隠すために入っていたクローゼットから“出てくる(coming out)”ことを指す。

誰だって戸棚に隠した秘密の一つや二つは持っているもので。
でも、セクシャルマイノリティ当事者からすると、聞かれたら恥ずかしい・言えない黒歴史とカミングアウトを一緒にされるのは嫌だ、という人もいる。

なんでか、っていうとだね。
カミングアウトは生活基盤を揺るがすリスクがあるから。
「5歳の時におねしょしましたー」てレベルじゃないんですよ。言ったら、その人を見る視線が変わっちゃう可能性がある。「この人はおかしい」と思われたまま、生きていかなきゃならなくなる。
それはつらい。

それだけのリスクが発生する可能性があるもの、その中でも特にセクシュアリティに関する事が『カミングアウト』て、思っとくと誤解が減る、かな。


例えて言うなれば。
@コンビニのレジ横のHOTな食物

白い饅頭A 「私・・・君に言いたい事があるの」
肉まんB 「ん?なになに?」
白い饅頭A 「あなたと同じ棚に並んでるけど」
肉まんB 「うんそれがどうかした?」

ピザまんA「私、肉まんじゃなくて、ピザまんなの!!」
肉まんB 「何だって!?君、ここから出て行きたまえ!違和感たっぷりだ!!」


てかんじ?(笑)
「特に・・・違和感無い。そのぐらいの違いで箱から出ろはないでしょ」と思ったあなた、御の字です。


が、しかし。
多くの日本人(特に40代~上)は
「そーゆーのもあるらしいね。でも、よく知らないよ。自分とは関係ないよ」
という認識の人が多いようです。
肉まんの「出て行け」発言には及ばないけど、関心を持たないというのは、つまりセクシャルマイノリティの部分を無視するというニュアンスに近いものがあると感じます。臭いものには蓋。なかったことにする、等々。

そして、我丞の経験&知識上、「よく知らない」人の中には知らないモノに対する不安感や恐怖があることが多いです。

なので、あまり面識のない人が多い場所(例えば職場や地域の集まり)でカミングアウトすると、何故か“気味悪いもの扱い”されたり、露骨に避けられたりすることも、あるらしい。

これから一緒に活動していかねばならん!という時に、メンバーから疎外されるのは、精神的にキツイ。それに、生活行動を行う上でも周囲からの援助が得られないのは非ッ常ーに大変です。
あ、援助といっても、挨拶したり、日常会話したり、筆記用具貸してくれたり、という程度のことなんだけどね。

「同性愛ってこういうものなのか!」って興味持ってくれる人が少数でもいてくれれば、まだそこから理解の輪を広げていけるのですが・・・環境によっては中学・高校のいじめみたいな状況になる可能性もあります。要するに共同体での孤立ですね。

いやー、それはマジで勘弁してほしい。
というわけで、多くのセクシャルマイノリティはカミングアウトに消極的なのですよ。

現状、周りに溶け込むための自衛策として取れるのは、不用意にカムしないこと、くらいしかないので、みんなとても用心しいしい生きているようです。


だけど、セクシャルマイノリティって、“言わないとわからない、伝わらない”ことが多くて。
白いピザまんと同じで、黙ったままだと違いが見えない状態なものだから、肉まんは何に配慮したらいいか、気づいたらいいか全くわからんかった。相手が恋愛の話題を避けてるな、くらいにしかわかんなかった。
ということに、最近気がつきました。

なので、
今のところ我丞は、言う必要があったり、聞かれたりしたらあっさりとカムすることにしています。遠慮なく。当たり前の事で、それがどうかした?くらいの軽さで言ってます。質問疑問どんと来い★

言うのは、やっぱり少し緊張するし、「嫌われたらどーしよう」とか「疎外されたくはないな」とか考えますが、でもこれって別に隠さなきゃいけない事じゃないから。

たとえ今は日本人が「BLはいいけどリアルはやだ」とか言っていようとも、世界基準では「同性愛、OKじゃない?」って議論になってる国や州がけっこうあるんですよ。(アメリカだと議論になりすぎて危険な区域もありますが;;)

Tokyo在住の我丞の実感としては、年々言いやすくなってきていると感じています。特に、大学生くらい~下の年齢はいろいろな固定観念や慣習にとらわれてない人が多いようです。


ありがたいことに我丞の周りは同性愛に理解のある人が多く、そのおかげでこういう生き方が出来てるんだと感謝してます。恵まれてる実感がある、て幸せっすね。

というわけで、状況見つつのカムは全然OKだと思う!
あんまり知覚過敏になってると、今の世の中勿体無いぜ★
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ただしいせいせいかつ! -まず、一言-

2009/11/02 (Mon)

俺もそろそろお年頃なんで、こういう話題を書いていこうかと思うのですよ。
(花盛りとゆーより、言っても怒られねぇかなって意味で)

で、そいつを語るにあたり、何故私がそんなことを書いていきたいのか、一言釈明しておきたい。


えーと。



ええとね。



俺は、男の子より女の子が好きです(*´∀`)



以上釈明終わり!
はい、次説明!

リアルの俺を知らない人は「は?」って思うでしょうが、これ↓で納得して下さい。
俺は女子中高出身です。

わかったね?
だからセクシュアリティとかの問題に興味があるんだよ。自分の事だし。

「何故今さら言いだした!?」とか、「隠れて生きよ!!」てコメントが右から流れてきそうですが、
止めません。いくらでもコメして下さい。
「絶交だ!!」は悲しいですが眺めます。
「離縁だ!!」はちょっとどころでなく面喰います。
って自虐的な冗談は置いといて。


「何も、こんな大々的にカムアウトしなくたっていいじゃない」てコメントしてくれる人も居るかなぁ。
居たらいいなと思いながら書きますよ。



何故ここで言ったかというとだね。

まず一つは、我丞が世の中のどこから物事を見て考えたのか、伝えないと話の流れがわからん、て人もおるだろうと。

それから、伝えないともったいないかな。て。
皆、知らないんだもん。色々と。
知ってたら、世界の見方がちょっと変わるかもしれないのに。もったいねー、て。
いろんな情報も集まってくるし、何かの役には立てるよぉー!て。

その辺が今回のカムアウトの原動力。


以心伝心も悪くは無いけど、思ってるだけじゃ伝わらない事はたくさんある。俺は、セクシャリティについてもそのうちの一つだと思う。


隠して生きている人もたくさんいます。バレたら世の中から追放されると考えて生きている人もたくさんいます。カムアウトに慎重になる人の方が多いです。それはそれでいいと思います。その人の環境と気持ちと身体にとって、隠れて生きるのが一番必要なら、それでいいと考えています。

とどのつまり。私の場合は、この事を隠して生きるのが性に合わなかっただけじゃないかなー。あと、色々言われても耐えられるし。だからこそ言わないともったいないわけですな。(笑)


とりあえず、これにてひとまずの前置きは完了。
「ちきしょー何言ってんだ、この気持ちをどうすればいいんだ!!」て人は、コメよりガツガツぶつけて下さい。
我丞はどっちかといったらMっ子なので。その愚痴、お聞きしましょうv

食と身体 -食事<お菓子、酒

2009/10/29 (Thu)


「心の状態によって、食べられるものが違ってくる。」

日文の先生に、ちょっと変わった現代文学を教えてくれる先生がいる。彼女が始めた文学の読み方、その名も「臨床文学」という。
はじめに書いた一文は、先生が授業で村上春樹のテクストをやった時に教えてくれた言葉だ。

食べる、というのは、身体に新しいものを取り込んで、自分の物にして、日々自分を更新することだ。
「食べることは、生きること。
 生きることは、食べること。」
というのは私の持論なんだけど、人間は食べないと生きて行けない。君だってそうだろ?

それが、心の状態で食べられなくなってしまう事もある。
鬱病の時なんかだとわかりやすい。食欲が失せてしまって、物を食べたいと思えなくなるんだ。
これは極端な状態だけど、0と10の間に幾つもの数字があるように、「食べたくない」と「食べたい」の間にもいろいろな状態がある。

例えば、油っこいかつ丼を食べたいと思う時もあれば、キムチ鍋がいいときだってある。食欲スケールを10段階にするとしたら、このへんは9以上だね。

肉じゃがや明太子スパゲッティーは私なら6くらい。4あたりまできてようやく、そうめんが登場する。ちなみに、シンプルな白粥は3.5。

こうして見ると、どうやら味の強さ、食べ物の強さ(弾力性とか、固さとか)でグラデーションになっているらしいとわかる。

さて。
食べ物というからには、お菓子もあるし、液体(ジュース、酒)だってある。
日文の先生曰く、
「お菓子や液体は、食事“以下”」なのだそうな。

ちょっとわき道に逸れるが、村上春樹の小説では、テーブルをはさんで話す場面でも、紅茶や酒などの液体が間に置かれている事が多い。特に、初期の頃の作品なんぞは、他者とのかかわりのなさ(ディタッチメント)がストーリーの中心にあるから、バーで酒だとか、喫茶店でコーヒーだとか、そういう描写がよくある。

“食卓”を共にする大切さはまた今度語るとして。今は液体やお菓子についてだったね。

食事未満、というと失礼な物言いなんだけど、でも、お酒もお菓子も主食にはなれない。あったら嬉しいけど、無くても死にはしないよね。(アルコール中毒の人は別として)そういう位置づけのものが食べたい時って、どんな時だろう?
逆に言えば、お菓子や酒以上が食べたくない時。

さっき、鬱病の時に食欲がなくなることを挙げたね。
心の病が、身体で症状を訴える。
これは何も鬱病の人に限った話ではない。

食事が食べられない、お菓子や酒がいい、というのはつまり、心が「食べる=生きる」のを拒否している状態と考えられるんだ。
食べないでいれば栄養が足りなくて、身体が機能停止するからね。

でも、全く食べたくないわけではないよ。
ここに、ちょっとだけ気をつけてあげてほしい。
ぎりぎり自分が食べられるもので生命を繋いで、待っている状態。それが“食事未満”を食べたい自分なのだ。


先日こんな数行文を投稿した。

チロルチョコが食べられなくて
氷砂糖を口に運ぶ
そんな日もあるってこと

でもこの日、朝食・昼食・夕食はきちんと食べたよ。
心配しないでね。

なぜチロルチョコが駄目だったのかといえば、チロルチョコの油脂分や特徴ある濃い香り、舌に残る強い甘さなんかが、食欲スケール8ぐらいに感じられたから、だろうね。

で、何で食えたのかといえば、朝と昼は「出されたもの」だったからしっかり食えた。そして、夜は「そこそこ回復したから」食えた、というのが本人の実感。

お菓子レベルの小さな差ではあったけど、まさか、甘党の私に「チロルチョコは無理!」という日が来ようとは思ってもなかった。それだけに、これはちょっとした驚きだったよ。


「自分の心に敏感になるのは難しい」と思っている人、「今はきちんとした食事を取りたくない」と感じている人は、是非“自分が食べたいもの”を真剣に考えて、身体が欲しがるものを食べてほしい。

自分で作る気力がない時だってあるだろう。
そういう時は家族や友達、料理屋の手を借りたっていい。
気兼ねするなかれ。
「君のため」と思ってくれる人なら、しぶしぶと見えてもきっちりと、必要な“生命を繋ぐもの”を作ってくれるはずだ。

スーパーで思わず一瞬黙るお菓子

2009/10/27 (Tue)

アメリカやアラブ、ヨーロッパのお菓子は、時折毒々しいほどの着色料が使われている。
だが、日本人が作るお菓子にもたまに、方向性を間違えたまま駈け出して帰ってこれないものがある。

祭りのハイチュウ「りんご飴味」「わたがし味」
……たぶん夏に出したのだろう。
夏祭りからの連想でりんご飴とわたがしになったというのも、まぁわからなくはない。焼きもろこし&いか焼きのチョイスはむしろう●い棒に任せた方がいいだろうし。

正直、ここにツッこむべきか、それともそれはそれとして受け止めてやるのが大人のハイチュウとの付き合い方なのかはわからない。
が、敢えて、敢えて言ってみる。

りんご飴も綿菓子も、そもそも飴じゃないか!
なぜハイチュウにしたし!
てゆーか、りんご飴(ザラメ入り)てりんごと飴の味が完璧に分離してるよ!?

等々。

ぶにっとした柔らかさと組み合わせる必要が、本当にあったのかどうか。
おそらく色々な果実を試してそろそろ手詰まりらしい森●さんに聞いてみたい。


※綿菓子味はザラメとの相乗効果もあって、そこそこそれっぽい味になっています。それなりに夏祭り気分。ザラメのごつごつが残った綿菓子を圧縮かけたら、こーなるんじゃないすかね。結構最後までじょりじょりと楽しませてくれます。

【ブログ休止のお知らせ 】

2009/10/03 (Sat)



えーと、わかりやすくぶっちゃけますv

私は、そこそこの年月文章を書いてきて、身の回りにある事を考えてきた。
と思っていたが、最近「もしかしたら、そーでもない?」という事に気付いた。

数年前まで、思考することは私が私であるための条件だった。
というのも、私にとっての姫神様が非常に理性的な方で。小難しい事考えてないと、自分がもたなかったんですよ。自分自身を獣だと勘違いしていた自分にとって、人間であるための条件が考え続ける事、だったのね。

はいここまで、今は昔の昔語り。
今は、自分は一応、人間の形をした自分という生き物だと認識しているよ。

なんだけど、

いくつか文章ブログ見てると、わかりやすくて丁寧でいい文章がいっぱいある。彼らないしは彼女らは、感じた事を深く思考して、すっきり綺麗にまとめている。あるいは、とても鋭く優しく誰かと関わっている。

感じることは大好き。素直に書くのも、最近大好きになった。
自分はちょっと抜けているけど頑張って空回りするぐらいの印象でいい。
でも、ろくに記憶保持も出来ない自分が、ああいう文章を書けるのか?って考えたら、それはもう、無理無理無理!!なわけですよ。要するに、文章書きとしてのちょっとした自信喪失。


昔から、自分は誰かが休んでは通り過ぎていく場所のような気がしていたけど、今回その所以がわかったような、そうでもないような。

と、ゆーわけで、
諸先生方、ちょっとだけごめんなさい!
友人・知人ども、朝飯はちゃんと食え!(え
とりあえず、自分というものが大きく変わろうとしているから、それに合わせてのブログ休止です。死んだりしません。逃げ・・・てはいないつもり!

方向転換するかもしれないし、gdgdな感じになるかもしれない。
書きたい事、めーいっぱい伝え続けたい事ができたら戻ってきます。



・・・・・・たぶんw

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HN:
我丞
性別:
非公開
職業:
人の話きく人
自己紹介:
人間27年生。
セクマイ道7年生くらい?
心理臨床とセクマイと発達凸凹を応援するよ!

ここにあることばと存在が、私のプロダクト。
見て、わからないことは聞いて。

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Tamariba

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