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思考社

いんふるえんす我丞の情報発信基地。

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2025/04/27 (Sun)

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「おめでとう」

2008/05/01 (Thu)


おめでとうを何度も言われた。
一生分のおめでとうを使い果たしてしまったんじゃないかと思うほど、
たくさんの「おめでとう」を、もらった。

今まで、人間関係において、
たくさんを望んだことは、なかったつもりだ。
それが、一年のあいだに、これほどに積もった。
行き会った先で出会った人と、
自分が今まで大切にしてきた人と。

春になって桁をぐいと押し上げた、たくさんの邂逅が
この日に芽吹く。



「ありがとう」
万感の想いをこめて。
幾度でも言いたい。
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無題

2008/04/26 (Sat)

今日は、ちょっとした計算を行う。
とゆーわけで。

みなさん手元に
電卓用意。



まずはお嬢さん方、
いくよ?


女子中高大の人はこっち。
120.5468+0.3386×自分の身長

共学の人はこっち。
109.01649+0.40932×自分の身長



どう?
電卓叩き間違えてなければ、「身長っぽい」数字
出てるんじゃない?


これ。実は、
君が恋人に求める身長を出す式。(@とんじょ&ぶんきょう)
なのですね。



で、次。
お嬢さん&男ども準備よーい。


114.02382+0.26589×自分の身長


あ、お嬢さん方は彼氏の身長or↑で出した数字をぶちこんでね。
そうすると、

・男が彼女にどれくらいの身長を望んでいるか。
・理想の彼は自分にどれくらいの身長を望んでいるか。

という、けったいな数字が出るのだよ。
これ授業でまじめに解説してもらったけど、面白い。

何が面白いって、データを回収する段階では
「恋人に望む身長」を書いてもらったわけよ。
で、
恋人がいる人間は、当然恋人のデータを記入するよなぁ。
それが、
自分の求める恋人身長と合致して、
さらに、
相手がどれくらいの身長がお好みか、ってのが出てしまう。

一喜一憂する様に内心大爆笑でしたよ。
ま、重要な事ではあるかもしれんがね。


そりゃあ勿論、この一般論からズレズレにズレちゃってる人間も、そうだな、6%ぐらいは居るわけで。
少数派って、たまに槍玉に挙げられるけど、
こういう時に揺らがないのは良いものよ。

お わ り

2008/04/18 (Fri)

あ、今勘違いした人いなかった?
タイトル見て
「え、なに、ブログ止めんの」
って思った人挙手してー。

はい、ご苦労さん。
まさか。終わる訳がないだろ。

最近ようやく認めれるようになったんだが、
何を隠そう、俺は”終わり”が大嫌いでね。
つい最近テレビのゴールデンタイムで映画をやっていただろう、
同室の方が録画してちょこちょこと見ていたが、タイトルは確か

『日本沈没』

そうそう、日本が乗っかってるプレートがばらばらになって、
北から南まで、地震やら津波やら噴火やらで死に絶える話。
状況もわかってないような人間が、片っ端から、あっさりと自然の前に倒れていくんだけど
なんというのか
あの画面が”自分の生存を脅かす”ものだから、怖くて見ていられなくてね。
結局どういう終末を迎えたのか知らないんだけど、自分が何らかの”終わり”を迎えてしまうことを、生物的な本能から嫌がっているらしいことだけはさんざんわかった次第さ。


以前考えた小説のコンセプトにも
「戦争をなくすためには、戦争の恐怖を知る必要がある」
というのがあってね。
その時は、締め切りに間に合わずにその話の結末を書かないで放棄、
ってことになったんだが
これも、ある意味で同じような気がするな。
“終わり” “死の恐怖” それを身に染みて知っているかどうかによって
その人の選択というものが決まる。

ついでにいうと、
“俺がその小説を完結させなかった”というのも、終わり回避行動。


それにしてもさ、
そんな事うだうだ言ってても、雨はあがらないんだよねー。
だから、今日はここまで。正真正銘、おわり。



解なき問

2008/04/15 (Tue)

答えというのは、ひっくり返すと問題になる。
問題を回転させても、解は出る。
そういう話、したかな?


まぁいい。だいたいそんなかんじ、今日の話題。


数式ってあるだろう、あれは右と左がイコールでつながってるね。
そいでもって、どちらもが同じものを指す、っていう。

だから
3の3乗=27になるし、


ついでに、
ひよこ5乗=ひよこひよこひよこひよこひよこ
になる。という。


おんなじ要領で、
『この世界は何なのか=
ってやってみたとしよう。
そうすると、たぶん

『この世界は何なのか=この世界はこの世界である』
という解が出ると思う。
だって、問題の中に答えはあるのだから。


え?ナニ、話が飛躍してるよって?
正直、俺もそう思ったり思わなかったり。
だけどねぇ。
問題を放った時点で、そこには解が存在するようになる。
それは、正しいかどうかとは無関係に、ただ、問に相対するものとして、人間の意識の外で生成されてしまうんじゃないだろうか。
形を得るかどうかはわからない。
ただ、ある。
だから、人間は求めてしまう。

問いと解の存在の位置って、そういうもんではないかと。


こうやって、実にも益にもならないことを考えるのは哲学にしてはファンタジーに浸かりすぎている。
物語に収めるには、俺が信じすぎている。
こういう事を考えていると、時折窒息しそうになったりもするんだが
それでも、
君が、問題を簡単に転覆させてしまう以上、
俺が解ではない答えを探すしかないような気がするのでね。

考える人

2008/03/11 (Tue)

いやいや、我らが県立美術館にいらっしゃる彼じゃないぜ。
俺の知り合いの、知り合いの話さ。


その人間はね、俺以上にものすごい思考してるらしいんだよ。しかも、ほぼ毎日なのかなぁ、ちゃんと文章化してブログにUPしてるらしいのな。
店の手伝いだとか趣味だとかカラオケだとかにうつつを抜かしてる俺と違って、生きることにとても真面目な奴なんだろうと思う。生きることを急いで無いんだろうな、だから落ち着いて眺めていられる。
俺にもあったような気がするな。そういう、鳥みたいな時間。
いや、自分のはむしろ・・・周囲から切り離した時間だったから同じではないか。まぁいい。どっちにしろ単なる人間のやるこっちゃない。

俺は別に、それが良いとか悪いとかを論じたいわけじゃなくてだな。
そうしていることがすなわち生きる事である、そーゆー人間もいるんだって事を再確認しちまったなー、と。

自分が好きな方向性で(意のままになるこっちゃないが)生きてるんだろうね、そいつは。
どうやって生きていけばいいのか、なんて誰もどこにも決められちゃいないないんだが、もし、自分の思考しうる精神が身体を動かすとするなら、やはり1番に尊重してやるべきは己が精神なんだろうね。

心を学んでいる者としては、心が先か、身体が先かっていう問題にここで足止めを喰らっちまうんだが・・・そいつには自分という精神の存在を信じていてほしいと、ちょいと思ったよ。

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我丞
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自己紹介:
人間27年生。
セクマイ道7年生くらい?
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ここにあることばと存在が、私のプロダクト。
見て、わからないことは聞いて。

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