忍者ブログ

思考社

いんふるえんす我丞の情報発信基地。

[10]  [11]  [12]  [13]  [14]  [15]  [16]  [17]  [18]  [19]  [20

[PR]

2025/04/27 (Sun)

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

ひととせ

2007/12/31 (Mon)

今年も過ぎていくね、この変な最終日が。
だってそうだろう?
日本人がみんなして「蕎麦を食わねば」という。
しかもあれ、知ってるかい。噛んだらいけないんだぜ。
丸飲みは感心しないよ。


 まぁ別に、この俺が何か言う必要はないのだけどさ、人間が自分で作った不思議なこの日はいまや全世界共通なんだとよ。それが云百年前からずぅーっと続いてて、毎年来る終わりの後に新しい何かが来て、違う何かが始まる事を期待してる。
 実際この数時間後に何か来るのかっていったら、そんなこと全然ないんだけど・・・・・・あ、数年前、ミレニアムの区切りで恐怖の大魔王が落ちてくるなんて騒いでた事もあったっけ。あの時の一騒動、覚えてるかい?

 ねぇ、仮定で語る未来に振り回されて消耗するのはよせ、って言ったの誰だったかな。もしかしたら自分だったかもしれないけど、それでも少し考えたりしないかい?
 もし、自分が新しい一年に行かれなくなってしまったら。もし、元旦の朝日が自分の中のスイッチを切り替えてしまったら。あるいは、変わってしまうのは自分じゃなくて世界である君とか。
 笑っちゃうよ、ほんと。この前も、久しぶりに会った後輩に「ネガティブ」って笑われてしまった。変わってしまう何もかもが怖いくせに、全部をひっくり返したい性分だなんて、難儀で仕方ないぜ。

 新年がいままでと違う何かになってしまうことなんて、ないんだろね。
 今までとさして変わりはしない、でも、気持ちの上で区切りをつけて新しくなっていこうとしているのかな。いろんなことにガタブルしながら。

 ああもう、この際何が来るのでも変わるのでもいいよ。いっそ変わらないのもありだろ。全部まとめて、落し物せずに新しい年迎えれるといいな。


 それじゃ、また来年。

PR

クリスマスという名の××な日

2007/12/24 (Mon)

クリスマスという時期は街中が浮かれ、そこらじゅうのバカップルはべたべたとひっつきまくり、誰も彼もがどこの馬の骨とも知らん故人のために喜んで、そしてこの俺は、
「ばっかじゃないの」
と、のたまう破目になるのである。

クリスマスの何がいけないか。
いいだろう、とくと解説してやる。


まず、クリスマスは本来宗教行事だ。
そこらの石にすら神を見出す日本人がやっても良い行事じゃ無い。
だから事情も知らずに「メリークリスマス」というのはよせ。
どうしても言いそうになったら「メリークルシミマス」と言うんだ。
何も言わないのも口が寂しいからな。


クリスマス反対、第二の理由。
はっきり言っておく。これは諸企業の陰謀の一部に過ぎないからだ。
だって考えてもみろよ。
年末でそろそろ品物の入れ替えをしたい時期、新たな年に向けて船出金を蓄えておきたい時期、その他言葉にするのは憚りのある様々な事情、慎みを持たない口に言わせるなら、
金もうけ。
いいか、日本全土の人間、これで日本の経済が活発になるからといってよろこんでいて良いのか、財布の中身が“私の中の悪魔ちゃん”によって勝手に減らされるのを防ぐ為にも、しっかり頭を使うんだな。


・・・・・・・これを忘れたらいかんな。
先に述べておくと、別に、俺は、該当しないからな。
面倒だから簡単に言うぞ。
彼女持ちの男どもにとって、これは都合良く狼に化ける為のキッカケでしかない。
食用、観賞用、そして普段はいい子いい子されてる羊ちゃん。
好きなように喰われるなよ。



さぁ、結構いろいろと並べてみたが、俺がクリスマスをこれほど恨むのには、もっと個人的な、私怨じみた、年季ものの怨念のような思いがある。

言ったところで、大半のお嬢さんお坊ちゃんにはわかってもらえまい。
彼らには受動的なクリスマスが存在するのだから。
・・・・・・なぁ、唐突だけど、お前サンタやりたいか?
いや、たとえ話だよ。聖書によくある比喩比況。
世界中の子供達に夢と希望とおもちゃを届け、
クリスマスの夜、愚痴ったれの赤鼻のトナカイとともに馬車馬の如く働く、
会社の同僚には内緒で、その日だけ彼は闇の中のスーパースター。
いやぁ、すごいね。かっこいいね。
でも、彼だって普段は冴えない中年会社員。(因みに窓際。)
年に一度のクリスマス、同僚達は忘年会を兼ねてお祝い騒ぎ。
年に一度のクリスマス、自分は一人おもちゃの配達。


何が、何がクリスマスだ。畜生。


わかりあう?

2007/12/15 (Sat)


最近のことだ。近況報告、とも言うのかな。
俺は今、東京のある大学の寮に住まわせてもらってるわけだが、寮内の行事だとか、ふとしたきっかけでディープな話をすることが、よくある。

寮内で出来た友達(って言うんだろうか?)だけじゃない。
心理の授業でグループごとに実験やらなきゃいけなくて、成り行きで俺が日程調整だとか、道具の受け渡しだとか、いろいろと仕切らせてもらっている。
ゼミとか他の授業でも一緒の人たちと、細切れの休み時間に話す。
それぞれが結構複雑な事情を背負っていて、
まぁ、深い話にスッと入っていける雰囲気と考えを持ってる。
やらなきゃいけない事だらけになって、ひぃひぃ言いながらやりくりしてる傍らで、寧ろこういう時だからこそ深まってく仲みたいなものがある。心理学的に解釈すれば、ただ一緒に居る時間が長いから好意度が比例して上昇する、なんて言うのかもしれない。
確かにそうなんだろう。数字の上では。

俺は、運が悪い。
何をいきなり、と思うだろうけど、怪訝な顔しないでくれ。
ゲームでも、ランダムな数値でも、TPOでも、昔から俺は運が無い。
自分ではそう思ってる。

だから、偶然電車で気の合う大親友を見つけたり、
学食で隣り合わせた仲間と離れがたくなったり、
そういうことはなかった。
でも、振り分けられた番号、自分が気まぐれに選び取ったものが、今の自分にとって何らかの恩恵を与えてくれてるんじゃないかって思った。俺に味方してくれるのは一瞬の運じゃなくて、積み重ねた時間なのかもしれない。みんな知ってることかもしれない、でも、俺にとってこの事はついさっき当たり前になったことなんだ。

そう、話が飛んだけれど、この人なら信用できるなって思った人には、今まで隠そうとしてきたことも話せるようになった。別に、大学に入る前に会った人達を信用してないってわけじゃない。そのへんはちょっと、悪いかなーって罪悪感があったりするけど、タイミングの問題とか、まぁいろいろあるし。

今だって、何もかも話してしまう訳じゃない。
人様のプライバシーに関することは言わないし、自分にだって守りたい部分はあるからね。それにしても、言葉でちゃんと、自分が何を大切にしているか、自分がどういう人間なのか理解してもらえるように、前よりずっと多くのことを説明するようになった。
話してみなよ、という時には覚悟を持って聞く姿勢の人達だから。
話しても、ちゃんと受け止めて、わかってくれると思える人達だから。
誤解のないように真摯に伝えれば、理解してくれるんだという発見。
それに、隠して偽っても、
妙な殻で嘘の自分を逃がすだけだって思うようになったから、かな。

書きながら、もしかしたら、自分が思ってるように伝わってない可能性や、相手が実はうわべだけの反応をした可能性も考えた。自分はやっぱり心配性なんだと、実感しないわけにはいかないね。
それならそれでいいかと思う。
俺が、成り行きなり、直感なりで判断した結果だもの。
それが今の俺にとっての真実である以上、偽りで良い結果を残すより、本気さらしてみたほうが良いだろ。そのほうが、納得できるし。

こんな、独白じみたこと書く理由についても考えた。
どうしたいんだろう、どうしてほしいんだろう。ってね。
びた一文にも(古い言い方だな)ならないし、君のためのメッセージでもない。
そうだな、
変わったとこもあるんだって、知っておいてほしい。
たった、それだけなのかも。

ウィキッド!

2007/12/13 (Thu)

数日前、劇団四季のウィキッドを見に行ってまいりました。
今年のクリスマスプレゼントforみー、だぜ。(チケット高ぇ)


これから見に行くよっって人も居るかもしれないので、ネタばれは続きに書いておくよ。
というわけで、その他色々。



まず、
何が気に障りましたか同行者のお嬢さん?
そのへんの記憶がまったくないのでどうとも言えないのですが、
俺の、何が悪くて、ヘッドフォン大音響で片翼の天使聞かにゃいかんのですか。セフィロスが夢に出てくるじゃないですか!?


というのはさておき。

見た場所はカレッタ汐留内の電通四季劇場。席は1階の後ろから3列目ぐらい。ステージ上にでっかいドラゴンの頭があったんだけど、2階席のおかげで見事に見えませんでした。まぁ、ステージ上はしっかり見えたんで良い席取ったなーってかんじですけど。(四季劇場って地元の市民文化会館とかより急勾配に席配置してあるからそれで見やすいんだろうな)


ここではネタばれしない程度に感想。


「良かった」

この一言しか出てきません。
てのは、ちょっと無理がありますね。

着想を得たのが本家『オズの魔法使い』というだけあって、どこまでオリジナル要素入れてくるのかが非常に気になっていましたが・・・正直言って、これは『オズの魔法使い』の裏話です。

勧善懲悪と愛と正義と勇気だけが本家オズにあったとは思えない。
あれはあれで良い話だけど、大人の世界はそんなに割り切れたものじゃない。

そう思ったことがあるなら、ウィキッドを観るべし。
大人の世界のやましさ、裏、人間の弱さ、誤解、そんなものを全部含んだうえで、私たちの世界を写したオズで正義を貫くこと、たくさんの壁を乗り越えて友人をつくり、愛する人とともに生きることを見せつけてくれます。

「気になったら見に行け!」

はっきり言っておく、別に四季の回し者ってわけじゃないぞ。



衝動的にCD買いに走ったらブロードウェイ版しかなかったという、ちょっとショックな出来事にも見舞われましたが、ここ数日ウィキッドのCD漬けになっています。


求人広告を

2007/11/23 (Fri)

思いつきというにも些末ながら、ちょこっと言ってみたりする。


「人手の無い農村よ、大学内に求人広告を出せ」



大学生どもは自分が進んだ学科においてプロフェッショナルになる事ばかりを目指しているわけではない。
というか、そうなりたい奴はそこまで多くない。何故かと言えば「大変」だとか「それでは食っていけない」だとか、現実と夢のギャップがそこにあるからなのだが、そうした未来の分岐点以前の挫折をした時にとる選択肢がとりあえず「会社に就職」なのだ。

もちろん、今の日本は多くの会社員や、さらに多くの労働者たちによって支えられているわけだから会社に新しい人材が入っていくこと自体は喜ばしい事態といえよう。
だが、日本の大企業発展に人数を持っていかれるあまり、国民は“目の中”ならぬ“口の中に入れても痛くない”モノをほったらかしにしている。それが食料である。

もとより日本の国土は狭かったが、それでも日本国民は鎖国、戦争時代など外国との貿易が盛んでなかった時期などでも滋養あるものをいたるところにある農家で生産していたように思う。
ところが戦後日本において、政策においても人々の財布においても、苦労と収入が釣り合わない農業はどんどん端に追いやられていった。その結果、身近なところにあったはずの小さな農家は消え、冬には干し柿が連なる光景を知る者はとみに減っていたのである。

「知っている」ということは、つくづく一財産だと感じる。
自分が活動できる範囲を広くし、新しく開けた領域で自分の可能性と適性を見ることが出来る。
知らなければ、それはもう、そこまでである。

農家の存在、物をじかに作る手をスーパーの生産者表示にしか見つけられなくなった都会の若者たちは、自分たちの選択肢にそれらを反映しなくなった。だって、知らないから。反映しようも無い。
そして知る者が居なければ、知られる側は対となって消えるしかない。

そうして会社員になって数年して、適性が無かったといって転職する者がどれほどいるのだろう。知らないばかりに自分の選択肢を雑草だらけの原野に返してしまう者が。


もし、自分の行く道に一風変わった立て看板があったらどうだろう?
そこには自分が今まで知らなかった事が書いてあり、なんだかちょっと面白そうだ。そのときそれは、君の可能性を拓く道になりはしないだろうか。

前のページ HOME 次のページ

ブログ内検索

03 2025/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30

HN:
我丞
性別:
非公開
職業:
人の話きく人
自己紹介:
人間27年生。
セクマイ道7年生くらい?
心理臨床とセクマイと発達凸凹を応援するよ!

ここにあることばと存在が、私のプロダクト。
見て、わからないことは聞いて。

無題(返信済)
(10/11)
もんもんもん(返信済)
(10/18)
(12/13)
(09/08)
(09/08)

Tamariba

Twitter

 



忍者ブログ [PR]
template by repe