忍者ブログ

思考社

いんふるえんす我丞の情報発信基地。

[224]  [223]  [222]  [221]  [220]  [219]  [218]  [217]  [216]  [215]  [214

[PR]

2025/04/27 (Sun)

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

求人広告を

2007/11/23 (Fri)

思いつきというにも些末ながら、ちょこっと言ってみたりする。


「人手の無い農村よ、大学内に求人広告を出せ」



大学生どもは自分が進んだ学科においてプロフェッショナルになる事ばかりを目指しているわけではない。
というか、そうなりたい奴はそこまで多くない。何故かと言えば「大変」だとか「それでは食っていけない」だとか、現実と夢のギャップがそこにあるからなのだが、そうした未来の分岐点以前の挫折をした時にとる選択肢がとりあえず「会社に就職」なのだ。

もちろん、今の日本は多くの会社員や、さらに多くの労働者たちによって支えられているわけだから会社に新しい人材が入っていくこと自体は喜ばしい事態といえよう。
だが、日本の大企業発展に人数を持っていかれるあまり、国民は“目の中”ならぬ“口の中に入れても痛くない”モノをほったらかしにしている。それが食料である。

もとより日本の国土は狭かったが、それでも日本国民は鎖国、戦争時代など外国との貿易が盛んでなかった時期などでも滋養あるものをいたるところにある農家で生産していたように思う。
ところが戦後日本において、政策においても人々の財布においても、苦労と収入が釣り合わない農業はどんどん端に追いやられていった。その結果、身近なところにあったはずの小さな農家は消え、冬には干し柿が連なる光景を知る者はとみに減っていたのである。

「知っている」ということは、つくづく一財産だと感じる。
自分が活動できる範囲を広くし、新しく開けた領域で自分の可能性と適性を見ることが出来る。
知らなければ、それはもう、そこまでである。

農家の存在、物をじかに作る手をスーパーの生産者表示にしか見つけられなくなった都会の若者たちは、自分たちの選択肢にそれらを反映しなくなった。だって、知らないから。反映しようも無い。
そして知る者が居なければ、知られる側は対となって消えるしかない。

そうして会社員になって数年して、適性が無かったといって転職する者がどれほどいるのだろう。知らないばかりに自分の選択肢を雑草だらけの原野に返してしまう者が。


もし、自分の行く道に一風変わった立て看板があったらどうだろう?
そこには自分が今まで知らなかった事が書いてあり、なんだかちょっと面白そうだ。そのときそれは、君の可能性を拓く道になりはしないだろうか。

PR

この記事にコメントする

お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

この記事へのトラックバック

この記事にトラックバックする:

本は読んでも読まれるな HOME 残滓

ブログ内検索

03 2025/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30

HN:
我丞
性別:
非公開
職業:
人の話きく人
自己紹介:
人間27年生。
セクマイ道7年生くらい?
心理臨床とセクマイと発達凸凹を応援するよ!

ここにあることばと存在が、私のプロダクト。
見て、わからないことは聞いて。

無題(返信済)
(10/11)
もんもんもん(返信済)
(10/18)
(12/13)
(09/08)
(09/08)

Tamariba

Twitter

 



忍者ブログ [PR]
template by repe