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思考社

いんふるえんす我丞の情報発信基地。

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2025/05/04 (Sun)

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重大な事

2006/09/01 (Fri)


今日は一つ、ここを訪れて下さる皆様方にお聞きしたい。


     猫背は矯正すべきか否か


はい、議題コレね。

俺としてはどうなのかというと、
「これが自然体だから、これで良いんじゃないか?楽だし」
という意見。

そもそも、猫背というのが生来のものなのか、後天的作用によりてなるものなのかがわからん。後々に何か悪影響を及ぼすモノとも思えぬし。

まぁ、そのようなわけで。
猫背の今後を決定付ける貴重な御意見を御待ちしております次第でありますきりぃーつ敬礼っ。
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名称不祥

2006/08/30 (Wed)


 自分の名前を忘れてしまう、なんて滅多にできたものではないね。だが、一度忘れてしまえばその後はなし崩しさ。


 名前が無いということの効力、逆に名前で縛られている事の効力、名付け、名の剥奪の際にはこれらを十分に把握しておく事が大事なんだよ。具体的に言うとね、自分が作ったキャラクターを決定的に動機付け、活動の要を作り、その後の運命の示唆をもするのだ、という、名付け親つまりは君の意識に拠るわけだね。

 逆の場合、名の剥奪、これはやりようによっては非常に簡単だと思うよ。一番手っ取り早いのは、一個の存在から他との関係性を奪い去ってしまう事だよ。死でも良いし離別でも良い、とにかくぎりぎりまで孤立させて、世界干渉面からの徹底的な分離を行うんだ。


 ようやくはじめに言った事に戻ってこれそうだな。名の忘却、これだよ。全てから切り離された後で、大概の存在は他によって認められないという条件において途方も無い独立感を味わう。同時に誰からも呼ばれることの無くなった名前が失われていく、と、まぁこういう事だ。

 これが一番悲惨なのは、その名前が最後の名前であった時さ。名前が失われた時、そこにあるのは無名のモノなんだよ。

諸注意

2006/08/27 (Sun)


 旅に出るときは、必ず認識票をつけて出かけよう。まぁとにかくぐだぐだいう前に聞け。人生何がいつ何処でどのように起こるか、わかった物ではない。だからだ。だから首なり手なりに認識票をくっつけて行くべきなんだ。


 なんだ、まだ事態が飲み込めて無いんだな。いいか?例えば道中火災にあって全身黒コゲのウェルダンになってしまったとしよう。持ち物も大概焼けてしまって黒コゲだ。そんな中で何によって肉塊を見分けようかね?炎によって変質する事の無い物質、それも出来るだけ砕けない物質が良いな?

 とりあえず、認識票の重要性はわかったようだな、よし。だが気をつけろよ。鉄片や鉄塊は重いからな。下手に扱うと肩がこるぞ。

存在意義

2006/08/25 (Fri)

 さて、今日はタイトルの通りストレートに『存在意義』について語ろうか。とはいっても実はこれ、そんなにまだ考え抜いたわけじゃないからね、走り書き程度にしておこうと思うよ。

 存在意義、そもそも君は自分の存在意義という事を考えた事があるかい?存在証明、アイデンティティーというのも似た言葉だね。いや、考えた事があっても無くても、どちらも正しい事なんだ。僕が思うにこの世には、存在意義をはじめっから必要としていないタイプの人間と、存在意義を切々と欲するタイプ、2種類の人間が居るんだ。

 前者(必要としないタイプだね)は存在意義自体を気にしない、あるいは存在する事を自覚するよりも、存在から派生するところのもの、すなわち世界に先に気付いた、そんな人間像が浮かび上がってくるように思われる。なんていうか、外向きの眼を持った人みたいだね。

 後者、(必要とするタイプだね)は、物的な存在としての人間を見聞きしたことがあるんじゃないかな。あるいは人間と物との区切りをはっきりつけていなかったり。自分という曖昧な存在を確固たる存在に昇華させる、その意志が存在意義、ひいては外界への接触意欲になっているのかもしれない。


 どちらも共に良いところを持っていると思うよ。条件づけが反対だからといって反発するような要素でも無いしね、一人の人間、一つの社会の中に両方が住まう事も多々あろうさ。寧ろ前者と後者が一緒にいる空間こそ、望ましいんじゃないかな。

頭脳中式

2006/08/25 (Fri)


 君等は数学者の頭の中がどうなっているか、見たことがあるかい?もちろんすっぱり割って見た事は無いだろうがね。(あると言うなら後で廊下に立ってなさい) 数字を扱う、わけの分からない矢印と記号を綿々と書く。こんな事ばかりしている人種だからね、並大抵の基準線など持ってはいないよ。

 まぁそんな奇特な数学者にも段階というものが在るのだよ。いや、僕はそんな恐れ多い所までは流石に行った事が無いね。僕の知り合いだけでも、そうだなぁ、片手の指で足りる程度の人しか、有段者と呼べる方々には会った事がないんじゃないかな。

 先に言っておくとね、質問の対応に忙しい数学の先生や、塾で効率よく分かりやすく問題を解かせて、公式をしっかり覚えさせる事をしている先生なんかは“先生”、ではあるけれど“数学者”では無いと思うんだ。数学は好きだし数学の先生である事に誇りを持ってはいるだろうけどね、彼らは数学が無ければ生きられない、なんてレベルには達して無いだろう?だから、ほんとの意味で数学者とはいえないんだよ。

 ほんとの数学者にとって数式は、子供や学生の勉強道具じゃぁ無いんだ。そこんところをよくわかっておいてほしい。彼らにとって数式や数学用語や数学記号は日常をあらわす、一種の生活態度や言葉みたいなものなんだ。ほら、僕がこうやって思考を言葉にすることで存在証明をしているようにね。それとおんなじ事。頭の中に数学がある事で生きている、寝ても覚めても食べても座っても、目に入る全てが数式に変わっていくのさ。

 実際彼らはとても楽しそうだよ。哲学ほど息の詰まる命題でも無いしね。え?僕はそりゃあ、哲学してる時が一番アイデンティティーを実感できているよ。大体、円の式と二次関数の式の区別に手間取ってるような人間には、数学は向いて無いんじゃないかな?

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