忍者ブログ

思考社

いんふるえんす我丞の情報発信基地。

[29]  [30]  [31]  [32]  [33]  [34]  [35]  [36

[PR]

2025/04/28 (Mon)

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

逃亡者

2006/08/23 (Wed)


 何かが迫ってくる。何かが追って来る。自分は何かによって逃げる。兎に角逃げている。が、しかし。何故逃げているのか、逃げている理由からも逃げている。アジの開きの如くに明確な逃亡のサイクル。いや、逃げる方向って物はわりと蛇行してるからサイクロンの方が似合ってるか。

 夏休み後半、逃亡したい事は誰にだってあるだろうな。時には思いつめちゃったあまりに、海に飛び込んだり、線路にダイブしたり、見えない翼を信じ込んじゃったりしたくなる。いやいや否定はしないよ。やりたくばやるがいい。その代わり、君を待っているのは予想もつかない未来だろうがね。
 
 そう、万事が万事思い通りのわけが無いんだ。そいつは君にしてもそうだし、俺にしてもそう。誰だって予定の部分と予定外の部分がある。ある程度予定されていた部分に対しては対処がきく。だが、予定外の部分に即座に対応するってのは、なかなかに難しい事だと思わないか?だって奴らときたら、見事なぐらいに収束する事を知らないんだ。八方に散って行った結果が自分自身にえらく不利な事だったりするんだから、参ってしまうと言う物だ。

 だから逃亡だ。不利な事から逃げてしまえ。予定調和外の全てを箱の中に置き去りにして鍵をかけてついでにチェーンでぐるぐる巻いて自分はオサラバ。いいねぇ。楽だねぇ?その逃亡の何たるかも知らないでねぇ?いい気なもんだねぇ?そのうち箱に足が生えて追っかけてくるぜ?ああ、おっかねぇおっかねぇ。
 
 どこかで摑まるぐらいなら始めっから片付けとけっていう意見も、まぁ言える人間は言うがな。少なくとも俺には言う資格なかろうな。追いつかれたら追いつかれたでそん時。逃げる気力も失せた時に強敵と出くわしてみるさ。

PR

神鳴 白雷

2006/08/22 (Tue)


怒ってる。

先生が怒ってる。
神様も怒ってる。
師匠も怒ってる。
あの人も怒ってる。
知らない人も怒ってる。

怖くは無い。
けれど、

白雷に暴かれる自分自身の罪性が嫌。

手のひらのサイズ

2006/08/21 (Mon)

東京に行く前、俺は1年半持ち続けた或る物を手放した。

東京にいる間、俺の中で何かが受信されて発信された気がした。

東京から帰って以来、俺の弾くピアノは変わったらしい。


先生曰く
「今迄は、心の中にあるものを全部出そうと必死になっていた」

「今日は、心の中のものも出ているんだけれど
 まだ中に表に出てきていない炎があるようなかんじ」
だそうだ。そして、

「初めて弾きたかったものを聞くことが出来た」
これは俺にとって最高の褒め言葉である。


 おそらく、俺が手にした物、手にしていた物の正体は自分の中で承諾済みなんだ。だが、それを手にしたという事がいかなる事であるのか。これがまた簡単には辞書に出てこないシロモノらしい。
 仮に手に入れた物を『宝』としてみよう。それは今まで手に入れてきたガラス球や、小説や、あるいは机の上の写真と同じかい?どのくらいの重みを感じただろうね?簡単に材料に変えてしまえそうな物だったのかな?いいや。何とはなしに、今までの小さなお宝とは違う。これを一生涯持っていたい、と思わせるような空気を持つ。
 
 さてそこで。今までとは違う不思議な『宝』だけれど、これだっていつかは、もう少し大きな宝冠の一部になるのかもしれないよ。荒削りの角をとって反射光を作り出すようになるかもしれないしね。

 だから、その時が来るかもしれないことも分かった上で、その『宝』を大切にしよう?

読書感想文

2006/08/19 (Sat)


 実は、受賞しやすい読書感想文には型がある。そして文学でいうところの型破りは、おそらくこの業界には通用しない。型破りで通るのだとしたら、その人は相当な技術者なんじゃなかろうか。


 逆を言うならば、型さえ守れば誰でも先生好みの素晴しい作品が造れるわけだが、こうして日々ブログを書いている者やユマニストにとって、自分の主義主張たる文章を曲げる事は己の真意を枉げる行為であるともいえよう。俺を含めた上記のような者にとって感想文は、本を選ぶ段階からして自分の意思が通用するかどうかを問いながらの難作業になる事がある。というのも、一番書きやすく採用されやすく賞されやすい書き方が『同調』だから、なのだが。
 因みに俺は今この難作業に取り組むか、真向から反発しつつ書きたいことを書きつくすかで悩んでいる。


 いやいや捏造だろうとコピーだろうと終わった者勝ちだ、という考え方もある。それはそれで素晴しい心構えである。そうしてまでやりたい何かが君にはあるということだからね。思うがままに5枚の原稿用紙を片っ端から埋めていくと良い。


 ま、いずれにしても毎年やってくる読書感想文に対する思いは人それぞれだろう。提出期限までに、無事に完成する事を祈っているよ。

家族映画

2006/08/16 (Wed)

10年ぶりに、一家総勢三人が映画を見に出かけた。
前回見たのが10年前の釣りバカだというから
呆れるどころか出不精にも程がある。


 誰かと一緒に映画を見るというのは、中々良いものである。
同じ物を見るにしても、テレビのような小さい画面では何とはなしに物足りないし、チャンネルが幾つもあるから争奪戦になりかねない。特に一般家庭ではサッカーの季節になると激戦が繰り広げられる。マンションなどで上の階、下の階の論争を聞く分には愉しいのだが、当事者は結構必死だと思う。


 その点、映画はいい。不思議な連帯と統一感がある。たとえどの映画を見るかで喧々囂々していたとしても、千幾らも払って映画を見るのだ、ぶすっとしているわけにもゆくまい。大きな画面の前に座って館内が暗くなれば、必然的に目線は動く光源へと寄せられる。そして映画館を出てくる頃には、皆と一緒にさっきまで見ていた物についてあれこれと語り始めるわけだ。


 友達と見に行くのも良い。
 元ネタ、原作を知っている人間と行くと話題が広がる。
(その際、元ネタを知らない友達も連れて行くと原作仲間が増えたりする。)
 恋人と行くのも、まぁ楽しいんだろうな。ある意味緊張感あって。


 駄作でも流行でもいい。映画を見に行こう。


前のページ HOME 次のページ

ブログ内検索

03 2025/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30

HN:
我丞
性別:
非公開
職業:
人の話きく人
自己紹介:
人間27年生。
セクマイ道7年生くらい?
心理臨床とセクマイと発達凸凹を応援するよ!

ここにあることばと存在が、私のプロダクト。
見て、わからないことは聞いて。

無題(返信済)
(10/11)
もんもんもん(返信済)
(10/18)
(12/13)
(09/08)
(09/08)

Tamariba

Twitter

 



忍者ブログ [PR]
template by repe