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思考社

いんふるえんす我丞の情報発信基地。

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2025/04/29 (Tue)

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指先

2006/08/15 (Tue)

 楽器弾きにとって、指先はとても重要なパーツである。だから手先に普段と違うモノがあると非常に気になってしまったり、思うように手が動かせない事がある。正しく言うならば手先のみで楽器を奏でるのではなく肩甲骨から腕全体、さらに感情のままにノリノリで弾くのであれば、それはもう全身運動が必要と言っても過言ではない。


 ついでに言うと、楽器を弾く上で一番肝要なのは音のありかたと自分の在り方の把握が出来ているかという事ではないかと思う。力は抜けているか、呼吸は最適の状態になっているか、またその時に音はどのように響いているか、自分のイメージと重なる音が出ているか。こういった事に体感覚で触れながら、尚且つ体の現行する動きに支障をきたさないようにしなければならない。そして、そのような諸事を把握しつくす為にも、感覚器は出来るだけ「異常なし」と思える状態であることが好ましいと言うわけだ。


 ではここで、指先にちょっとした怪我をしてしまった、と仮定しよう。血も出ないし日常生活上不便とは思えない、その程度の怪我だ。しかしいざ楽器を弾こうとすると、丁度楽器に触れなければならない位置に些細な怪我。感覚器の捉えるイメージの中に痛みが加わってくる。当然感覚器自体の異常に気をとられて集中しきれない。



それで、何が言いたいかというとだね。
楽器弾きは怪我なんてしちゃいけないぞっていう、怪我人からの伝言だったりするんだよね。これが。
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兎並の神経

2006/08/14 (Mon)

 魔都東京。あの都市は何処かおかしい。


 奇妙さの最たるところは東京駅。あの複雑怪奇な構造、それより遥かに恐ろしく、そして自分を飲み込む存在があの中には存在するようだ。
 一口には説明しがたいし、例えようにも適当な物が無い。だから思ったとおりに言わせてもらうが、
「何もかもが同じ方向へ向かっていながら全てがばらばら」
あるいは、
「総てが同じ物を指しているはずなのに別の意図を持っている」
ああ、一つ使えそうな喩えが。
「一つの部屋の、ある壁一面だけに円形の計器が沢山かかっている。長針と短針、どちらも皆一様に4:50辺りを指している。しかし、ある物の数字は時計の十二個のそれであり、ある物は温度を指している。また別の計器はその位置が怨恨の感情であることを指し示し、その隣の物は他の計器とは無関係だというそぶりを見せてばかりいる」
・・・・・・喩えにしてはやけに難解だね。想像のつく限りでいい、頭の中にその空間を組み立てて、壁のすぐ手前に立ってみてほしい。かなり、気持ちの悪さを感じるんじゃないかと思う。
 同じでありながらばらばら、そしてその個々の物の間の無関係さ、あるいは意図的な無視。ほんの少しだったら気にならないかもしれなかった光景を、無理やり拡大して、さらにぐちゃぐちゃに丸めて管の中に収める。それでも中に詰められたモノは精神を薄くしながら生き延びねばならない。生き延びる為の無視無関係無反応。こんな事考えてると俺の頭の方が参ってしまうよ。せっかく安全な場所へと逃げ帰ってきたのに、これ以上都市性の麻痺症状に陥るなんて哀しい目には遭いたくないものだな。


 他にも奇妙な事なら沢山ある。一々挙げていたら夜が明けそうだから断じてやらないが。


 結びがこんな愚痴っぽくてはいけないな。奇奇怪怪の中で頼る者もなくて寂しさのあまり食欲不振に陥っていた話でもしようか。いや、それも愚痴っぽくてなんだか嫌だな。ならばここは一つ、精神安定に多大な影響を与えてくれた人への感謝の辞を表させていただこうか。
 上京中、深夜に電話代も気にせず電話しまくってくれた君。数日前言ったとおり、いろんな環境その他諸々で寂しくて死にそうで兎並の神経になってたのを打開してくれてありがとうございました。俺の心配性がいつの間にうつったのか知らないけど(つか意図的にうつした覚えないから逆恨みとか無しの方向で宜しく。)、そもそもの感染源は俺なので、今現在君よりさらに心配な気持ちになっているのは俺様(あっごめ、様じゃないよごめんなさい某匿名様様)です。つーわけで、兎に角感謝。あれとかこれとかも感謝。西風の神様の名前の人の写真とか見せてください宜しく。


あっ、なんか凄まじい結び方。

上京

2006/08/09 (Wed)


明日から俺は上京して、一日云時間という嫌味なぐらいに膨大な時間を大っ嫌いなお勉強に充てることになる。
上京といえば聞こえはいいが、まぁ単なる居候である。


いつも周りを囲んでいる人から離れる、一人で行動に責任を負うというのは並々ならぬ事である。だがそれは、世の大人が皆やっている事のはずだ。だとしたら。


やってやれなくもないだろう俺。自称精神年齢高い人。
たとえ寂しがり屋だろうと、チキンだろう、と、
だ、大丈夫だ。うん。死にゃせんわ。


帰ってきたらまた歳喰ってるんやろか・・・・・・。

AorB

2006/08/07 (Mon)

 選択肢ってあるだろう。別にライフカードやFFの魔法みたくはっきり選べる物ではないにしてもさ、転げ落ちたお菓子に3秒ルールを適応するかどうか程度の事はいつもやってるわけだ。
 それで、ごくたまーに大きな選択をしなきゃならないって時がある。この場合、面倒なら他人に任せてしまうことも出来るが自分で選んだ方が納得がいくだろう程度の選択っていう事にしておこうか。
 さて、設定完了こっから本題な。

 まず選択肢がいくつかある。どれがいい?
って唐突すぎたか。そうだな、判断材料がいくつか要るか。
  ・判断を下される問題が一つ。
  ・判断を下す自分が一人。
  ・単なる傍観者がちょっと居て、
  ・対象について書かれた本がそこそこ。
 材料になって無いとか少ないとかって御託抜かすなよ?だって突き詰めて言うなら、判断を下される対象と自分がいればそれだけで観察したりつついてみたり出来たわけだろ。脳味噌ついてりゃそれくらい出来るって。
 まぁ放置するのも悪いから本も使ってみようか。自分の目線からじゃ分からなかった事が呆れるほど書いてある、辞書みたく分厚い本だ。読んでるだけで頭が痛くなりそうだな。
 おっと、傍観者が何人か君を黙視しているみたいだ。いやいや監視の目ではないだろうあれは。どうやら君の事が気になっているけれど、近づいてきて万が一にも迷惑をこうむる気は無いようだ。だから、さっき"単なる"って言っただろう?彼らはただ見ているだけさ。


 これで一通りの判断材料を使えた事になるのかな。考えた事を踏まえたうえで選択肢を選ぶといい。

 もちろん、ぶっ飛んだ選び方も出来なくはないぜ?例えば、目をつぶって指で示してみるとか。東海地震はいつ起こるのかついに解からなかった神様に聞きにいくとか。通りすがりの傍観者V氏を脅して選ばせるってのもあるなぁ他人本意極まりないけど。


 ところで、君。ネットで神様の住所を調べてるようだけど、ああ、見つかった?はいはい。そうか行ってくるのか・・・・・・道中は背後に気をつけるんだよって僕は君の親ではないんだが。とりあえず、いってらっしゃい。


あ、ちょっと。
言い忘れたことが一つ。

「誰が君の未来を選択しようと、それを実行するのは君以外の誰でも無いよ」


だから何って?
いやいや、それだけ言いたかったのさ。

感情論?

2006/08/07 (Mon)

例えばそれは「愛する」という感情。時に感傷、そして感謝。

先に言っておきたいのは、これは宗教の時間に教わるようなものでは無いという事。つまり、どこぞの宗教曰くの「●●の愛は至上」主義とかそういう話では無いということさ。ま、そう気負わずに読んでくれ。

特別講師なぞが招かれて話すとき、よく『好き』と『恋』と『愛』の序列みたいなものが話題に上がる。因みに彼ら曰く、好<恋<愛だそうだ。だが、字の上では心があるだの無いだのといった説明がつくけれど、現実問題人の感情は字の形で目の前に出てくるわけじゃない。


ならばどうしてそんな文字が出てくるのか。それも俺には答えられません昔の先達を訪ねてください宜しく。ただ俺の見解でいくなら、そんな文字は大雑把で適当なくくりでしかないのだと思う。
「このここちをいかにせん」
「我持同心」
「じゃあこう呼ぼうや」
こんな具合に便宜上の『アイ』が生まれのだろう。そして多くの善良な愛する市民アンケートのおかげで改良され、文字を使うようになって初めて心がくっついたりする。
そーだよねー。考えてみたら、人に話す時に逐一この胸の痛みをわかってくれたまえこうこうこーであーなのよとか言ってたら相手も参ってしまうし、本人だって疲れるだろうなぁうん。
けれどね、アイする小市民Aさんよ。その『愛』皆で大雑把にくくっただけだから、自分の考えてる『愛』とアナザー小市民Bの考えてる『愛』は違うかもしれないんだよ。


そう、誰かが考えている形と自分が考えている形は必ずしも一致しているとは限らない。むしろずれ込んだ上に地すべりとサーファーを配置したいぐらいだ。幾つかの山を巻き込んだ雪崩でもいいだろう。それくらい人の考えと自分の考えは違う、よって言葉に込める意味や序列が違うのは当然である。


一言『愛する』と言ったとして。隣人愛、家族愛、純愛、偏愛、恋愛。愛の形は様々だ。そしてたとえ神の愛だろうとなんだろうと、愛なんてもんは自分の中じゃ2番目以下だ!って言う奴もいるかもしれない。宗教が『愛』は一番と言おうと親がなんと言おうと槍が降ろうと氷雨が振ろうと霧雨が降ろうと、その人の中には『愛』とは呼べない気持ち、それも一番の気持ちがあるのだろう。


そうやって社会の『愛』やその他の感情たちは、人間の間にズレを生じながらも浮かんでいる。

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