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たもくてきほーる

2009/07/25 (Sat)

どっかに“多目的”を“たもく的”ホールだと思ってた面白い馬鹿がいたような気がする。

てぇのはおいといて。
さて、ちょっと今日は“何かをなす”ことについての話。


「木を植えるのが目的ではない。
木を育てるのが目的なのだ。」


っていう話をしよう。

もとは確か、ビッグイシューか何かの雑誌に載っていた、その土地の人たちと一緒に、砂漠に木を植えている団体の話。
土地の人たちは、「ひとつ苗植えたらいくら報酬もらえるよ」ってことで集まる。だから、浅く砂を掘って、さっさと苗を植える。だから木はすぐに枯れてしまうし、土砂降りの雨で流されてしまう。

本当に苗を根付かせたいのなら、自分たちを砂漠から守る木に育てたいなら、もっと本気で、深く深く、穴を掘ってあげなきゃいけない。

でも、木が成長するには、とても長い時間が必要だ。実を結ぶのなら尚のこと。ホンキで木を植えるというのは、長い目で見る心の余裕と忍耐がなきゃ、とてもやってられない大作業なのである。


だーけどさぁ。
苦しい状況にあったり、忙しい時に「待て」「耐えるんだ」なんて言われてもなぁ?「今だってギリギリだよ。何言うか!!」って感じるだろ。
耐えている人にとっては、本当に世の中のどん底じゃない場所でも、
“どん底”に見えてるんだ。
それで、すぐに出せる結果、目の前のノルマや数字、最低限のお仕事だけクリアすればいいや、ってなっちゃうんだよな。


でもそれじゃ、未来まで続く何かは作れないし、
誰の心にも、届きはしない。
自分にも、何もかえってこない。


解っていても出来ない時もあるし、無理無理って首を横に振りたいときだって四六時中あるさ。
だけどね、

一番苦しい時に、そこでぐっと耐える事が出来るかどうか。
踏ん張れるかどうか。
光の届く場所まで歩いて行く努力が出来るかどうか。


俺は、人の真価って、そういうところにあると思う。
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