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うそつきの領域

2009/08/05 (Wed)

私は一概に、“嘘吐きはいけない事だよ”とは言えない。
自らも時にうまく嘘をつくからだ。



以前どこかで、
「うまい嘘というのは、事実の中に、必要な分だけの嘘が含まれているものだ」

と聞いた覚えがある。



うまい嘘、というのはつまり、相手に気取られずに自らの言い分をうまく通す嘘を指している。

あるいは、相手に気取られてもその嘘が許容されている場合(つまりまぁ、「仕方ないなぁ(苦笑)」の場合)、はうまい嘘をつけたということになるんだろう。
これについては、多くのフィクションが証となる。
時々、頭に“ノン”をつけていながらフィクションを騙る輩が出ないでもないが。

個々人に範囲を限定するのであれば、
別に、私は嘘を吐くこと自体は罪ではないと思う。
嘘を吐かねば生きていけぬ人もいるだろう。
むしろ、嘘の自分が自分になっているという人もいるだろう。

だが、それらの嘘が誰かを傷つけたり、腹立たしい思いにさせているなら、
その嘘は“失敗した”ものとすべきだと思う。
到底うまい嘘とは呼べないものであるからだ。

たとえそれが、何を守るための嘘であったとしても、
負けであることに留意し、謝罪しなくてはならない。
私個人の経験から、弁解するなら、その後にすることをお勧めする。


本来そこで、
正直に自らの非を認める潮時が来た、と諦めるのが筋である。


だが、潮時を逃してなお、嘘をつき何者かから逃れようとする者も居いる。

もはやそれは、ただの敗走者の言い訳に過ぎない。



私は今日、とある嘘吐きに嘘をつかれ、そんな事を思った。
彼女は二流以下だったと回顧した。


嘘吐きは仕事から正しく逃れるために、過去を曲げる嘘を語った。
だが、私は彼女の嘘を、「おそらく嘘だ」と感じながら、
それでも別の事を優先した。

別の事、それ即ち「折衝ラインを探り、面倒なことなく、通す」。

なぜなら、私がすべきは、彼女の言い分を正しいとすることでも、
今ある事象を正しいと言い張ることでもないと思っていたからだ。

だから、こちら側が楽なラインに話を持ち込むようにしてみた。

多少面倒だった。
相手に非がないと口先では言いながら、
心の中では相手を決して認めないのだから。
眩暈を起こしたのは、そのせいかもしれない。


ただ、
「折衝ラインを探り、面倒なことなく、通す」
それは私の感じる“しなくてはならない事”ではあるが、
本来この仕事についたものであれば、基本的にしない事であった。

正しくあり、正しさを振りかざす者、
激しく当たり、火花を散らす者がこの仕事につくはずなのだから。

けれど私は、正しさだけで世界が回りきらない事を知っている。
そういう“側”にいる。
当たらずに収めることを、その方法があることを知っている。
知ってなお、知らないとは言えない。
「正しく」はいられないのだ。


何かの「正しさ」の代行者として、私が据え置かれたのかもしれない。
そこで「正しさ」を退けること。
これは反逆だろうか。
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