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2024/05/20 (Mon)

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時系列++ 愛妻家印

2006/08/05 (Sat)

ジィナンシールは夕焼けを見つめていた。
窓にくっつけて置かれたデスクには色々の赤に染まるディスプレイが並んでいて、打ち込み専用のボードの上に、危険な事に中身入りのマグカップがのっかっている。
窓の方を向いたまま、元来色素の少ない手がカップを掴んで口へと運ぶ。
「・・・・・・苦い」
贈答品のコーヒーは彼の口に合わなかったらしい。けれど、眉根を寄せたまま二口、三口とすするあたりが彼の性分なのかもしれない。

やっと底が見えてきた頃、ドアの一枚向こうでぺたぺたと軽い音がした。間を置いて、ノックの音。
「ジィ、勝手に入るよ」
明かりの薄い部屋に入ってきたのは女性体のアニマトロイズだった。
研究衣のノースリーヴから出た腕はひょろりとして、一見そこらにいる陸人と間違えそうになるが、登録されている限りでは彼女は紅鼠系のアニマだ。
右脇に大量の紙束を抱えて、左手で小ぶりのボトルを二本持っていた。両手塞がりでどうやってドアノブを回したのだろうか。
「またシュンさんのお使いか。たまには若いのを寄越してくれればいいのに」
お前は意地っ張りで使い勝手が悪い、そう言ってジィナンシールは来客を迎えた。
窓際を離れて机上のパネルに指示を打ち込む。2拍と置かずに部屋中の明かりが点灯し、中央に置かれたテーブルとソファの辺りだけに明かりが残った。
ついでに棚からファイルを一冊取ってテーブルへ向かう。


「で、どういうお小言とどういうお使いを持って来てくれたんだ、セリクハル?」
薄い銅色の前髪の下で、同じ色をしたジィナンシールの瞳がはやくも面倒くさいと語っていた。
「やぁだセリクハルなんて。セリでいいってのに」
そうかえす客人は自分で持ってきた瓶入りの白汰酒の栓を開け、部屋の主を無視して酒をあおりはじめた。白汰酒は沿岸部の特産品で、度数はそんなに高くない。
だが塩分とも何ともつかない独特の香があって、地元の人でさえ好き嫌いの分かれる所謂ゲテモノ酒である。

そんな奇矯な酒から漂う塩っぽい匂いに鼻までしわを寄せて、ジィナンシールは卓上に放り出された資料をめくり始めた。
きつくなる酒の匂いが、資料の内容や所狭しとくっつけられたメモの要求する事とともに彼の機嫌を悪化させる。
メモの大半は調査請求、しかも正規の仕事からだいぶ外れたそれらは
残業のレヴェルを超えて徹夜労働ものだった。
「これ全部今日中にやれってシュンさんが」
酒の合間にセリクハルがぶはっと息をつく。据わりかけた目が天井のひび割れを睨んでいる。どうやら乗り気でないのはお互い様らしい。

「あの局長、僕が愛妻家なのを知っててこういう事をやってんのか」
「一衛期に4回も放浪する研究者は愛妻家とは言わないと思いまーす」
分厚い資料をめくる手が、一瞬止まった。
「公の基本休暇を全部棒に振る公僕は家庭人とは無縁でーす」
今度は無意味にばらばらとめくり始めた。
「家庭外に荷物が殆どあるなんて一般人でも無いでーす」
一度あさっての方向と、机上の写真立てを眺めて、
ため息が出た。
「・・・・・・・・・・・・・・僕が望んでそうしてる訳じゃない」
じゃあ何でこんなことしてるのかと言いたげな視線が突き刺さる。テーブルの向こうで2本目の酒が封切られた。解説相手が酒飲みでは分が悪い。決着が付かない。
ふと、妙なメモが視界に入った。
他のものに比べて全体が褪色して、読みづらいどころか一種の文様と化している。
だがそれを見た瞬間、ジィナンシールの目に険が宿った。
「セリ、仕事するぞ。続き部屋の資料庫から南諸島の植物系と地質系の全資料、それから」
「地下秘匿資料庫の鍵、シュンさんに気脈連絡の準備」
一つ頷いて研究者の彼は目の前にある資料を丹念に見直す。片手で額を押さえて文書に没入していく姿に、愛妻家云々の様は微塵も無かった。

同僚の紅鼠系アニマは振り返ってにやりと笑う。
「この仕事、休暇前に終われたら愛妻家の認定あげるよ、って」
次の休暇まで、あと4晩と半分。はっとして上げた顔は、閉まりゆく扉に遮られた。
シュンさんが言ってたー。たー。たー。
語尾が長く尾を引いて、残響が足音にまみれた。


短くため息をつきかけて、止めた。
机上の写真、日に焼けて色の薄れたそれに困ったように笑いかける。
「仕事、終わったら会いに行くな」
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