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愛することについてうだうだ2

2008/12/24 (Wed)

今日のサブタイトル:結婚


会社の終身雇用って、あれ、一種の"結婚"だと思うんだよね。


それにしても、しかしまぁ、何故に結婚なのだろうね。
結婚の制度っていつからあるんだろうとか、モノガミー制になったのいつだろう

とか考えるけど、
とりあえず今は、「何故、行き着く先は結婚」なのか、考えてみたい。

そもそも結婚て何ぞ?
結婚する、ということは、法律上で家族になるってことだ。
家族になると色々な特典がついてくる。
例えば、扶養控除だとか、遺産相続、緊急時に病院での代理意思決定などなど。

でもまぁ、そういうプラスアルファの部分ってのは結局、社会が後付けした部分であってさ、

根本的に何故"結婚して"家族を作るのか。
それってわからん。
エジプトの神話なんかにはもう既に結婚というか、妻と夫が二人で仲良くしやがれよ的要素があるんで、たぶん、B.C.には既にあったんだろう。

なんでそんなもんが必要だったんだろう。
法律で縛って、宗教で縛って。
人に与えられた命題が「産めよ増やせよ」なら、効率悪いと思わないか?
下手に進化しすぎたおかげで1人産むのにも時間がかかるっつーのによ。

さーて、疑問ばかりが悶々としちゃうねぇ。
例として、いくつかのケースを考えてみようか。

好き合っている男と女が居たとしよう。
言うまでも無く、法的に何の問題も無く結婚可能。
基本的に、離婚でもしない限り一緒に暮らす。

好き合っている男と男が居たとしよう。
ここは日本、同性婚は認められていない。
彼らは形だけでも、と、
結婚式を挙げてくれる教会を求めてアメリカへ。
神様の前で“死が二人を分かつまで”と、誓いを立てる。

好き合っている女と女が居たとしよう。
ここは日本、法律上の家族になるために、
彼女らは片方が片方を養子として登録することにした。
そして多々問題はあれど、
養子縁組の取り消しなんて外聞が悪いことは出来ない。
家族として支えあっていこうと、ある種の諦め。

他にも、IS、性同一性障害などなど、性のグラデーションの中にいろんな性が存在するが、それはまた今度。
上の3組に関して言える事は、


"永遠"という契約、それが
個を超えた何かによって成される。
と、いうこと。


ノーマルにしろゲイにしろ、結局は
法なり宗教なりの結婚をゴールとしている。

自分達の手では「どうしようもない」決め事によって、
二人の決意を後押ししてもらうというわけだ。

まぁ、ここまでをまとめるなら、
結婚とは、人間の意志の弱さをサポートするもの。
ってところかねぇ。

人間が社会的な生物だからこそ、意思の外部委託に似たことが出来るんじゃないか。と、ちょいちょい思ってみたり。



法なり、宗教なりが決めたルールにのっとって“結婚”出来るんなら、ここまでうだうだ言わねぇよ。

よく、決め付けんなって言われるけど、未来を考える人間にとって、予測できない事はすっげぇ怖い。

それは、未来というものの予測材料が「今」だからでもある。
「今」の条件、つまり自分の心や、他人に受け入れてもらってる度合い、なんもかんも未来に当てはめてみて、そうしてふと気づくんだ。

俺は、結婚という安心できる枠組みに入れそうにない。
どうする?俺の未来は一人きりの可能性が高い。

よく、決め付けんなって言われるけど、
未来を考える人間にとって、これは恐怖だ。

君は、どうやって「今」だけ見てるんだい?
どうやったら、未来の自分を受け入れてくれる人が居ると、信じて安堵できる?
自分の心より制度を優先すればつらいと感じなくなるのかい?

そうだね、文章見てわかるとおり無限ループだ。
際限の無いこと限が無い。


だから、俺は、俺と結婚したい。
自分の事をよく知っていて、特に、自分が欲しいものをよぉく知っている。
こんなに俺のことを理解してる人間が他にいるかっての。

しかしそれは無理な話だ。
というのも、「永遠に別れることが出来ない」という意味で、一度自分と"結婚"しちゃっているからだ。
いつだと思う?結構前の話だよ。俺らが生まれてきた時の話さ。

そう、自分がどんだけ嫌になっても、自分とオサラバすることは出来ない。
結婚という幻想を諦めて自分と契約しようと思ってももう既に、自分とは永遠の契約を交わしてある。
俺の場合は少なくとも、神が定めたわけでもなく、法律が定めたわけでもなく、自分が自分であることは、世の終わり(つまり自分の死)まで変えられん事実だ。
一体誰が決めたものやらね。


しかしながら、それはそれで、結婚式挙げる手間隙省けていい、と、逆の発想をしてみるも一興。
あるいは、嘘吐けない悪魔と契約しようと頑張ってみるとか。
足掻くからこそ面白い人間になれるか、それとも、不安を抱えた単なる爆弾になっちまうのか。
それはもう、見る人次第だろうよ。


あ、そういえば終身雇用制度も崩れようとしているねぇ。
会社と結婚できなくなった人間は、会社を如何にして愛するのか。これもまた、気になるところだ。
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