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食と身体3 -食卓の魔法-

2010/01/25 (Mon)


俺は現在学校の寮に住んでいる。二人部屋で、上級生が「部屋親」、下級生が「部屋子」。

その関係って疑似親子だよ萌え・・・とか言ってるのは誰だい?(^-^)
そのとおりだよこんちくしょん部屋子可愛いよう(スパルタ教育ですが

今日は、そんな寮の親子関係と食についての話。

寮内の暗黙のうちに受け継がれてきたルール、とでもいうのかな。“部屋親が部屋子に食事をおごる”てのがある。部屋替えして1ヶ月くらいで、「吉祥寺でディナーしてきた♪」なんて可愛らしい報告が聞こえてくる。

あのしきたりの意味は、「同じ釜の飯を食う」ことにあると思う。

一緒にご飯食った仲間は何らかの絆がある、てことわざがあるだろ。
でもさぁ、同じ釜からご飯わけるだけで絆が出来るって、ホントかよ?って思わない?

それがまさに、“食卓の魔法”だよ。

近年、拒食症になる子には、食卓を囲む経験の乏しい子供が多い事がわかってきた。
体は栄養を欲しがってるはずなのに、食べられない。
じゃあ、彼らはどうしたら食べたいって思えるようになるんだろう。
食べたいと思う気持ちは、どこからくるんだろう。
食べないと栄養足りないから?
別に、カロリーメイトで補えばいいじゃない。

そう、栄養だけならそれで済む。
点滴だって効率的な栄養摂取だ。
だけど、点滴やカロリーメイトを独りでもそもそ食べても楽しくないのよ。


さて、これは一つの回復の糸口。
ある治療者は、入院してる拒食症患者さん達と、同じ部屋で、机をくっつけて話しながら、ゆっくり一緒に食事をとるんだって。食卓の経験。
そしたら、みんなちょっとずつだけど食べれるようになってきた、と。

きっと、食卓につくってことは、食べるだけが目的じゃない。

食べるだけじゃなくて、話をする、同じ空間を共有する、一つの皿や鍋から取り分ける。たったそれだけのことかもしれないけど、独りじゃできない事が、二人やそれ以上だと可能になる。

あるいは、一つの皿から取り分けるとか、おかずの取り換えっこをするだとかいった共同作業によって、二人の間に食を通じた関係が生まれる。

独りじゃない。
元気に食べる自分、美味しいって笑ってる自分を求めてくれる人がいる。
それが食卓には必要で、
一緒に食べるとは即ち、他者と関わることそのものじゃなかろうか。


寮の“食事をおごれ”ってのは、本当に同じ釜の飯をくうわけじゃあない。
けど、食卓を囲むコミュニケーションが行われて、二人の間に交流があるなら、それは“同じ釜の飯を食”ったと同じ効力があるはずだ。

親子の絆。
過信するわけじゃないが、一緒にホットケーキを作って食った部屋子と俺、きっと良い関係築けてると思う。
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