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if it were

2006/09/20 (Wed)

君にとって「畏れ」は何だい?

パターンは幾つもあるね。具現、消失、変化。これらに意識、無意識、具象、精神、あれこれ条件節を加えていけばいい。

 さて、このままだと漠然としすぎて、さっぱり分からないだろうね。僕にもさっぱりだ。抽象的な例で悪いが、僕の畏れているものは「絶対」だ。何かが決定された状態で、全方位のどの方向にも動かせなくなる事象の事だよ。小さい事で言うなら魚の小骨だの自転車に乗っていて倒れる事だの、色々とあげる事は出来るんだけどね。あえて、一番のモノをあげてみたさ。

 そう、例えば僕が「絶対」を畏れているとしよう。僕は畏怖の対象から我が身を逃す為に何をするかな?保身の為の予防線、安心の為の逃走経路の確保ぐらいはするだろうね。そうしておけば日常生活において「絶対」に出くわす事はまず無い。

 だが、人生一度や二度や三度や四度くらいは、いや、もっともっとあるだろうか、哀しいかな僕らは「絶対」に出会わなければならない。それは君がそいつを「絶対」と認識するかどうかによるけれど、認識せざるを得ない状況で詭弁を使ってゆるい精神安定を図るのは、あまり得策じゃないと思うよ。

 「畏れ」に出くわしてしまったらどうするのか。大抵の人間はそいつとやすやすと対峙できるほどの力は持ち合わせて無いだろうね。だから、例えそれが「畏れ」の可能性、兆候程度でしかなかったとしても、どこかで、受け止めきれない感情が発生しているんじゃないかな。そしてそれを新たな「畏れ」としてリストに加え、君はさらなる予防線と逃走経路を求める事になる。

 そしてこれは、逃げ続けた結果という事になるのかな。「畏れ」から逃げるあまりに手も足も出なくなる、というのが僕の中では最悪のシナリオだよ。だって手も足も出なくなって、次の可能性が全て捥ぎ取られてしまった状況こそを、僕は 絶対絶命 と呼ぶのだから。
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