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カメラの思考

2006/10/16 (Mon)

 俺には、どうにもプリクラを頻繁に撮る人間の気持ちがわからない。たぶん行動原理は仲間意識の確認あたりなんだと思うんだけど、本人達がそれを意識しているとは思えないし。だが兎に角、彼女らや彼らや彼カノらはあの生命を持たない眼に晒されたがっている。

 ところが。ある特定条件の下ではこれがひょいと覆されてしまうらしい。何だと思う?これが不思議な事にね、同じ機械眼のもとで起こる現象なんだよ。

 その現象を起こすのには二つのファクターが必要だ。
 まず一つ、機械眼の向こうにシャッターチャンスを窺う人間が存在する事。もちろんそのカメラは盗撮や監視カメラなんかではないから羞恥心など持つ必要は無いし、君に害を及ぼすようなもんでもないから警戒なんてしなくていい。その代わりに、君は誰かに意思を含んだ眼差しで見られている、唯それだけ。
 何故コレが被写体において笑いを誘発するのかは、目下のところ思索中。自分では十分な被検体になりえないから時間がかかるかもなぁ。

 んじゃ二つ目、無防備な状態であるという事。ほら、プリクラや集合写真に収まる時って大概「はい、チーズ」ってやるだろう構えたりよそ行きの笑顔してみたり。あれ、ナシで。君の知らない間にパシャッと。カシャカシャっと。はいお終い。ビバ不意打ち。
 ってな具合にとった場合。この時撮られている君は何ともくすぐったそうな笑い方をしているんだ。作り笑いなんかじゃなくてね。“フィルムに残る自分は意のままの、外向けの自分ではない”という感情が居心地の均衡を崩しているのかもしれない。

 撮る側と撮られる側、どちらにも共通するのは、互いに何も要求していないということだ。カメラマンは偽造された笑みを要求しないし、被写体は綺麗に撮ってほしいという激烈な要求を持たない。


 そこはかとなく美しいものを求める心はある、けど無理強いはしない。

 出来るなら素の自分を撮ってほしい、けどこころもち恥ずかしい。


 微笑ましいような光景が、一瞬の光に焼き付けられる。双方の遠慮と深慮と思惑が控え目にその空間に浮かぶからこそ、良い写真が出来上がるのかもしれない。
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