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2024/05/10 (Fri)

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「会いたかった」を歌うのは教師である

2013/04/08 (Mon)

今日、新任の先生を紹介する壇上で「会いたかった」を歌う先生に出会った。
それを見て、私は思った。
そーか、これが教師のやり方で、カウンセラーのやり方は、これじゃないんだ。

というのも、以下のような教えがあったからである。
「前回がキャンセルだったクライエントに会って『会いたかったー♪』と言ったらAKB、カウンセラーは『この前会ったのは2週間前だね』と言う」


小学校で生活支援を担当するにあたって、このような教えもあった。
「発達障害の子の支援がしたいなら、”教える”ができないと困る」

なので、私は考えていた。
“教える”とは何ぞや?
教師の専売特許なら、私は教師のやり方を真似るわけにはいかないぞ?
カウンセラーにとって、”教える”とは、何をどうすることだろう?
はて?

そこへ来て、本日の発見である。
教師が「会いたかった」を歌った。
そういえば、小学校の合唱って、ストレートに伝える歌が多いっけ。

まとめ1:
教師は言葉にして、ストレートに伝える。だから、学校教育にはそこで取り零される存在がある。字義通り受け取る子や、ストレートな伝え方を受け取る準備のできていない子、感情の言葉がようわからん子、など。
そこにカウンセラーの入る余地がある。
カウンセラーは、その言葉から零れてしまうものも大事だから、価値判断の付随する感情そのものは言わない。

まとめ2:
カウンセラーの”教える”は、事実を言うこと、ではないか。言葉を大事にするから、伝わらない事は言わない。その発言で、気づいてほしい。他人があなたに「会いたかった」気持ちでいるということに。気づいてくれるまで待つし、準備するし、タイミングを考える過程が、カウンセラーにできること。
あえて、気持ちをこちらから言わないことで、読み取る力を”育て”ている、と言えるかな。


これを書いていて、学力面での“教える”は、私にゃ無理だな☆と、楽観的に考えられるようになった。でもそれでいいのだ。学力面での“教える”は、私の仕事の埒外だから。
私の仕事は、”生活支援”であってさ。当面は、生きていく上で必要なこと、コミュニケーションなり社会性なり、こころの平安だったりを“育てる”でいいんだと思ったんだ。
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