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思考社

いんふるえんす我丞の情報発信基地。

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一線

2006/10/20 (Fri)

 最近よく、二次元とリアルがごっちゃになっているという人間が話題になる。紙とインクで出来た美人だろうと画面に映った王子様だろうと、恋の対象には申し分ない。その人が思うなら彼ないしは彼女はそこにいるのだろう。


 二次元とリアルの事で言うなら、空想と現実との取り違えをしている人間、その線引きが出来ないで居る人間の方がよっぽど危険なんじゃないかと思う。
 例えば、漫画の主人公に恋をするのは君と君の中の想念にしか迷惑がかからないけれど、漫画のサブキャラが他のサブキャラとCPを成立する事ができたからって、それは現実において君と他の誰かが幸せになれるって事じゃない。
 使えない理論を持って戦う人間ほど、他の人間からズレまくりで、いろんな人に迷惑をかけて、一人マイノリティの自覚に擦れながら生きている。そう、例えば俺とか。

 空想の中で通用する事はリアルには通用しない。ファンタジーの中での概念はその国でしか通用しない。それは確かだ。
 けれど、物語の中で起こりえたことは、現実にならないとは限らない。特に心の動きや、遺志の持ちようなんか。これもまた、一種の事実として留めておいてもらいたい。

 何故なら、虚構は人間から生まれた物だから。

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雨降りに飴のような鞭

2006/10/19 (Thu)



今時分の雨は冷たいですね

濡れながら止まない鼓動が憎らしい。

未だ、僕は終われないのですね。


僕の存在は此処で歪んで在るけれど


雨

どうか

どうか君には

この雨から

非道くしなやかな雨から

酷い現実へ逃げるだけの

純真な力がありますように


僕に神はいないけれど

願わずにはいられない。


カメラの思考

2006/10/16 (Mon)

 俺には、どうにもプリクラを頻繁に撮る人間の気持ちがわからない。たぶん行動原理は仲間意識の確認あたりなんだと思うんだけど、本人達がそれを意識しているとは思えないし。だが兎に角、彼女らや彼らや彼カノらはあの生命を持たない眼に晒されたがっている。

 ところが。ある特定条件の下ではこれがひょいと覆されてしまうらしい。何だと思う?これが不思議な事にね、同じ機械眼のもとで起こる現象なんだよ。

 その現象を起こすのには二つのファクターが必要だ。
 まず一つ、機械眼の向こうにシャッターチャンスを窺う人間が存在する事。もちろんそのカメラは盗撮や監視カメラなんかではないから羞恥心など持つ必要は無いし、君に害を及ぼすようなもんでもないから警戒なんてしなくていい。その代わりに、君は誰かに意思を含んだ眼差しで見られている、唯それだけ。
 何故コレが被写体において笑いを誘発するのかは、目下のところ思索中。自分では十分な被検体になりえないから時間がかかるかもなぁ。

 んじゃ二つ目、無防備な状態であるという事。ほら、プリクラや集合写真に収まる時って大概「はい、チーズ」ってやるだろう構えたりよそ行きの笑顔してみたり。あれ、ナシで。君の知らない間にパシャッと。カシャカシャっと。はいお終い。ビバ不意打ち。
 ってな具合にとった場合。この時撮られている君は何ともくすぐったそうな笑い方をしているんだ。作り笑いなんかじゃなくてね。“フィルムに残る自分は意のままの、外向けの自分ではない”という感情が居心地の均衡を崩しているのかもしれない。

 撮る側と撮られる側、どちらにも共通するのは、互いに何も要求していないということだ。カメラマンは偽造された笑みを要求しないし、被写体は綺麗に撮ってほしいという激烈な要求を持たない。


 そこはかとなく美しいものを求める心はある、けど無理強いはしない。

 出来るなら素の自分を撮ってほしい、けどこころもち恥ずかしい。


 微笑ましいような光景が、一瞬の光に焼き付けられる。双方の遠慮と深慮と思惑が控え目にその空間に浮かぶからこそ、良い写真が出来上がるのかもしれない。

定義付け

2006/10/15 (Sun)

 日常生活には定義付けが欠かせない。たとえば君とオタク話をする時、或るキャラKに対するイメージの持ちようは其々に違うわけだから、両者のイメージの照準を同じところに合わせ、「この人は××だよね」とか「あ、その人は絶対○○」とかいう確認が必要になる。微妙な例で申し訳なかったが、このような作業が相手と自分の間の“定義付け”作業である。

 もちろん一人で居る時にも定義づけの作業は無意識に綿々と進んでいる。
 片付けというのは、潔癖症か来客の頻繁な家でもない限り特に必要の無い行動だと思う。部屋の中の物はどこに何が置いてあるか把握してあれば不便することは無いし、掃除機がかけられる程度に床面積が空いていれば君に不潔と言われる筋合いも無かろう。現に茶褐色の有翅生命体は沸いてこないではないか。それなのに、何故時間と手間と気力と労力を使って片付けなんぞするのか。忙しいんじゃないのか自分?

 まぁいい。片づけを開始しよう。とりあえずそこの棚の上に積み上げてあるプリントの類からだ。その後で書棚とB4版サイズの本を、 
 だがそこではたと気づく。勉強机はプリントの類で埋まっているわけではない。部屋中が腐海と化しているわけでもない寧ろテスト前にはこの環境で勉強していた。そのままの状況で十分使用に耐えうる環境のはずだ。何故片付けを始めてしまうんだ、そのまま勉強机に向かいなさい。

 それでもやはり片付けを開始してしまう自分。条件反射を疑う。おそらく、やる気→片付け→勉強、と挙動するように定義づけた何かが、過去に起こっていた。挙動不審な行動の根本に、定義付けがあったのだ。

 とするならば、過去に無意識下において行われた定義付けはこうだ。『勉強する前に、片づけをする』古い記憶の中にあるために理由を特定するのはなかなか難儀である。だがそれは、誰かさんからの絶対命令ではなく、数日前の自身の実感から得られた教訓でもない。過去のどこかに起因する習性みたいなものだ。ここで対面しているのは、過去の自分と、現在の自分だとも言えるのかもしれない。



 

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