忍者ブログ

思考社

いんふるえんす我丞の情報発信基地。

[27]  [28]  [29]  [30]  [31]  [32]  [33]  [34]  [35]  [36]  [37

[PR]

2025/04/28 (Mon)

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

休み時間、そしてリベンジ for Moi Family

2009/03/27 (Fri)

長崎に、班員6名で旅行。
五島の透明で綺麗な海とビーチで遊んで、
夜はぶったおれるまで遊びまくる。


そんな、修学旅行を思わせる旅行にしようと思った。
もちろん、あの時のように教会も行って、
中華街でお買い物して、
チンチン電車に乗って、

それでも、かつての記憶と同じにはさせまいと思っていた。
目的は2つ。
一つ目は、忙しい日常の中に落ちてきた『息抜きの時間』にすること。
もう一つは、
半ば強制的に行かされた研修旅行への『リベンジ』。

幸せの形は人それぞれだけれど、
みんながいろんな幸せの時間を持てるといいと思って、準備してきた。



正直、出かけるまでが一騒動だったのは言うまでもない事で。
連絡行き違い、切符購入、学割はどうなのか、そもそも予定伝えて無いじゃん等々、後手後手になって慌てる事だらけ。仮にもリーダー、どう足掻いても幹事以外の何者にもなれない配役に自分から収まってしまったけれど、仕切り役ノウハウがあるわけでなし。

ほんと、不手際が多くて申し訳なかった。

あ、でも予定をかっちり決めなかったのは「みんなで頭つき合わせて考えて結論出して、動く」っていう過程がほしかったから。ほら、修学旅行とかの準備って、自由行動のルート決めみたいなことするじゃない?あれをやりたかったんです。

おかげで、電車の時間と泊まるところ以外はフリーダムでしたね(笑)

しかも、東京からのぞみで博多までぶっ飛んで来てくれた御仁が一名。
合流がスムーズに行かなかったら、一体どうなっていたことでしょう。
今度はもうちょっとスマートに切符のやりとりできるようにしますね。


流石に「この方法やばいかも」と思った瞬間もありましたとも。
五島で、ビーチに行く相談をした時。

行き先も、行き方も、選択肢なんてそう多くないはずなのに、決まらない。時間はどんどん過ぎていく。
あの時ほど気ぃ使った話し合いはなかったかな。
誰かの意見を尊重すれば、あとの三人の意見は聞き入れられない。
かといって自分の意見を推し進めることもはばかられる。
でもみんなに自分の意思で発言してほしい。
そんな状況で、安全と自由と時間を天秤にかけて、最良の選択肢を提示して、みんなが納得できるように考えて、発言して。
上手くいっただろうか?

改めて、島での最大功労者さんに一言。
初めてのレンタカー、扱いの面倒なミニバンで、助手席の俺を罵倒しながら危なげない運転をしてくれた君に感謝。
何度目かわかりませんが、かっこよくて、惚れました。
今度デートしてくださいw車でwww

そんな君の運転があってこそ、ビーチでの時間、強い風の中でお昼ご飯、
生き帰りの車での時間、城跡付近の散歩、お土産を買う場所に行けたんだ。


五島にはほとんど信号機が無いことだとか、
すれ違えないようなほっそい道だとか、
地元と変わんない、どーでもいいような色彩の島で
この島でゆっくりして、充実した時間をすごしてくれただろうか。
だって、わざわざ『島流し』にまでしたんだぞ?w
これを日常からの離脱と言わずしてなんとするか。

というわけで、
今はもう忙しくて仕方ない日常の中に立ち戻っているだろう、枕詞がSな君達2人に物申す。
今度は近場でいいから、ゆーっくりしようぜ。
俺は温泉とか好みだけど、年寄りくさいですかね(笑)


・・・まぁ、この旅の計画段階から、俺にとっての収穫が多いことは予想してたんだけど、予想外のこともたくさんありましたし、
学ぶべきこともいっぱい(特に自重について)ありましたorz

そういう点で言うと、マダムとペーくんはいたるところでびっくり&強制スルーしなきゃならない状況に出会わされたと思う。でも世界が違うわけじゃない。いろんな人がいて、君の近くにも居るってだけの話。
これからも、宜しく頼む。



どんな形で、この旅行は君たちの記憶に残るだろうか。

UNOして、歩いて、走って、
風に吹かれて、砂だらけになって、歌って、
わけもなくセンチになって、おいしいもの食べて、
どうでもいいこと話して、大事なこと語って、
一緒に笑って。

緊張したかもしれない。困ったかもしれない。
半端なく疲れたかもしれない。
楽しい事ばかりじゃなかった人も居るかもしれない。
無関係のコトで悩んだりしたかもしれない。


そんな、全てがいいことずくめじゃない3日間を覚えていてくれたら。
ここから何か動いていく気持ちや事柄があれば。
幹事にとってこれほど幸いなことはないと思う。



叶うのなら、また一緒に旅に出よう。
20ページ目に栞をはさんで、また、どこかへ。
PR

意図しきクエスティオン

2009/03/26 (Thu)

友達って何ですか。
そんなに役に立つものですか。

綺麗って何ですか。
一番好いとは違うんですか。

つきあうって何ですか。
恋人って言える関係ですか。

名付けなかった関係は何ですか。
消える時はあるんですか。

自然消滅って何ですか。
都市伝説じゃないんですか。

恋って何ですか。
胸の病気と違うんですか。

愛してるって何ですか。
大好きよりも強いんですか。

結婚って何ですか。
所有格ではだめですか。

名づけるならば何ですか。
悲しませるよなものですか。


離れることが何ですか。
気持も意識も心も、君と居るじゃないですか。


10年保つ家電

2009/03/23 (Mon)

ついにきました。
俺が小学校6年の時から連れ添ってきたアイツが、
そろそろ、ご臨終っぽいです。





ペンタブが(笑)


原因は、USB差し込むところのコードの蛇腹っぽくなってるところ。
あのへんの接続不良。
ここんとこ持ち運び激しかったんでそれでぼろくなったかなーという感じです。


PCでもテレビでも買い替えの激しいこの時代に、びっくりしたことに10年もっちゃったんですよね。使用頻度がそこまで高くなかったのは確かですけど、まさか中学高校ときて大学2年まで俺についてきてくれるとは思っていませんでした。

途中3回パソコンの方が変わって、一度は原因不明の何ぞやらでペンタブが使えなくなっちゃって。ドライバ効かなくなって。
立ち上げるたびにインストールしてたこともありましたね。


と、まぁペンタブとの思い出話は尽きないわけですが、そして結局あんまり上達しなかった持ち主さんですが、


ペンタブよ。俺はお前に感謝したい。

「こんな旧型嫌だ」と思ったガキな自分もいた。

一向に減らないペン芯に自分の筆圧を疑う事度々。

ドライバ不調でググりまくった日もあった。


しかしまぁ、家族の次の次に、お前との付き合いは近くて長い。

正直、直るもんなら直してやりたいが
俺には技術がない。


なぁ、世の中、自分じゃ直せない物ばかりが増えていくよ。
壊れたらそれまで、捨てるしかない。
代わりは確かに、いくらでもある。

だけど、

ムキになってペン立てた痕だとか
わけも解らず絵をはさんで残った鉛筆のカーボンとか
今はもうないマウス部分だとか


そーゆう、どうしようもない古さ欠陥かかえたやつに
今更ながら、愛着わいちゃってしょうがない。



今はbanbooの新機種のレビューとか見てる俺だけど、
FAVOという名を冠したペンタブ、君が大好きだよ。
今まで本当にありがとう。
あとちょっと、(いや、できれば1年くらい)俺に付きあってね。

personality psychology gdgd

2009/03/09 (Mon)

人格というのは、記憶の連続性により支えられている。

では、例えば二重人格者の記憶はどうなっているかというと、人格Aはすべての記憶を持つが、人格Bは一部の記憶しかなかったりする。また別の二重人格者では、一つの連続する記憶を複数の人格が共有していることもあり、一概に記憶の連続が人格をはっきりと分けているとは言い難い。

心理屋の卵として聞いたところによると、第1人格が逃避のために作り出した人格が第2人格とそれ以降の人格である。
ということは、第1人格の精神的危機を救うためには第2人格に記憶を引き継がない、もしくは引き継いでもダメージを受けない精神構造を持った人格が必要になる。そうでなくば逃避装置としての意味を成しえないからだ。

記憶を引き継がない。

引き継いでもダメージを受けない第2人格の創出。


この2つの選択肢のうち、おそらく簡単なのは第一の選択肢であろう。
即ち、記憶を引き継がないこと。つまりは、忘却という日常的システムの暴走を意図的に引き起こすことである。記憶列の後方へと向かう健忘による日常からの脱却、連続する記憶からの脱却。ケースとして考えられるのは、何もかも投げ出してしまいたい場合。「ここはどこ、私はだれ」状態になりたい場合だ。
このような一時的な記憶喪失に陥った場合でも、多くの健忘症患者においては日常的動作記憶はアクセス可能であるため、生活にかかわること(自転車に乗ったり会話したり)といったことは発症前と同じに行う事が出来るという。

不思議なのは第2の選択肢である。
これが俗に言う2重人格というものであるのだが、第1人格が放棄したがる記憶を「引き継いでもダメージを受けない精神構造を持った人格」であるとしたら、この人格は第1人格よりもタフなのではないだろうか。
何故これが精神世界の底に残され、軟弱な方の精神が表舞台に立たねばならないのだろうか。あるいは、何故、初めから強い精神の方が勝たなかったのだろうか。

おそらく、この“強い”とされる第2人格にも何かしらの欠損、弱体なる個所があるのだろう。そのために社会不適合であるとして内側に潜る精神となった。

自然や社会や、それらと共存し、時に勝つためには必要な要素を、第2人格は持っていないのかもしれない。それとも、傷つかない故に周りから畏怖や忌避の視線を浴びせぬように潜っていたのだろうか。



話の向きは少し変わるが、人間の脳のキャパシティーの観点からして、第2人格が存在することは可能なのだろうか。

これは、そもそも“パーソナリティ”とは何かという問題でもあるのだろうが、もし、人間の脳の多くの部位を使用して一つの人格を作り上げているとしたら、2つ目、3つ目のために新たに場所を取ることは不可能である。
ただ、人格というのは一つの箱に一つ人格というようなありかたではなく、身体の反応や応対の様などを総合したアウトプットに感じられる幻想であるとも言われている。
一個人としての見解を述べるなら、キャパシティーの問題は無いと言えるだろう。

ただ、認知心理的な視座を持ち込んで言うと、認知によって世界を取り込む、そのやり方と受け取った世界の違いが個々の人格形成の素地となるのたが(簡単に言うと、感じ方の違いが性格を作るという話だ)、では、同じデバイスを使用して取り込まれた情報で別の人格を形成するためにはどうしたらいいのか。
即座に考えつく方法としては、人格ごとに感覚する回路をシャットダウンして調節することだ。
だが、視界、聴覚、触覚、痛覚、など、人格ごとに完全に回路を変更することは身体が一つしかない関係上不可能だ。

とすればやはり、第2人格以降の全人格は第1人格と同じ基盤の上に成り立っている事になるのだろうか。

決意

2009/03/02 (Mon)



幾度も幾度もしたんだ
けれど、君に会うたびに、どこか
もろもろと崩れてしまって

結局涙ばかりあふれるんだ



困らせたりしないと、何度も誓おうとするのに
邪魔な寿命と心が
決意を


前のページ 次のページ

ブログ内検索

03 2025/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30

HN:
我丞
性別:
非公開
職業:
人の話きく人
自己紹介:
人間27年生。
セクマイ道7年生くらい?
心理臨床とセクマイと発達凸凹を応援するよ!

ここにあることばと存在が、私のプロダクト。
見て、わからないことは聞いて。

無題(返信済)
(10/11)
もんもんもん(返信済)
(10/18)
(12/13)
(09/08)
(09/08)

Tamariba

Twitter

 



忍者ブログ [PR]
template by repe