思考社
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蜂葉
人を信じるというのは、哲学者にとって結構な作業である。
よーな気がする。
というのも、哲学は身の回りの当たり前を疑ってかかるところから始まっちゃったりするからで。デカルトなんて疑いすぎて自分の思考があるという結論しか残らなかったぐらいだし。んで当然、それと同じように日常生活を営もうとするとそっちこっちで支障が出る。だが、当人は必死でなんでだろうなんでだろうって考えてるので支障が出ているとは気付いていなかったりする。意識の狭窄って奴かね。
話を戻すけれど、疑心暗鬼な性格の故に、他人が当たり前に信用だの信託だのやっていることを自分が出来ない。まぁまずそれは確定項で置いとくとして、人間やら事象やら信じるのにいつもどんな手段をとっているかというとこれが面倒で、一々「約束」をしたのだと思って相手に任せる訳ね。約束ってのは絶対ではないにしても「嘘ついたらハリセンボン飲ます」の言葉通り(魚のアレだとしたら相当痛いわコレ)相手と自分との間が対等っつーのも何だけど、相手は相手で何がしかを賭けた状態になるわけで。あー説明するのもしんどいというか厄介というか。
じゃあ「一々疑ったりするのを止めるといいよ考えすぎだよ」って言ってくれる人がよく居るんだけどさありがたいことに。ごめんねーそれは出来ないんだー。そうしたら精神的に楽だし周りの普通の生活によく馴染んで皆とっても心配事減るんだろうなぁとは思うんだけどさぁ。うん、よくわかってるつもりなんだけどさ、逆接なんだよ。
俺が考えたり悩んだりするのを止めちゃうと、俺は俺でなくなっちゃうのね。たぶん。っていう思いがあるから、俺は自分で居続ける為に哲学しなきゃならないんだ。
すごく、我侭だと自分でも思う。でも、諦める気は無し。
どーしようかこの害虫ってかんじですが。
ま、一昔前の物書きと変人ぎりぎりの哲学者ってそんなもんですよ。
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人間27年生。
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心理臨床とセクマイと発達凸凹を応援するよ!
ここにあることばと存在が、私のプロダクト。
見て、わからないことは聞いて。
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