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思考社

いんふるえんす我丞の情報発信基地。

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こいしききみのなをよぶ

2006/09/21 (Thu)


このまま僕が
いる事でどれほど
静かでない日々になって

きっとそんな事になったら僕は
君にとっての害悪でしかいられなくなって
皆といた方が君にとって良いって
望んでしまう事もあるかもしれない

何がおこるか知れない
檻ではない事だけ言いたい
世の中全てに祝福されて生きていてほしい
無礼者と言われても構わない


そんなかんじで
恋しき君の名を呼ぶ。
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if it were

2006/09/20 (Wed)

君にとって「畏れ」は何だい?

パターンは幾つもあるね。具現、消失、変化。これらに意識、無意識、具象、精神、あれこれ条件節を加えていけばいい。

 さて、このままだと漠然としすぎて、さっぱり分からないだろうね。僕にもさっぱりだ。抽象的な例で悪いが、僕の畏れているものは「絶対」だ。何かが決定された状態で、全方位のどの方向にも動かせなくなる事象の事だよ。小さい事で言うなら魚の小骨だの自転車に乗っていて倒れる事だの、色々とあげる事は出来るんだけどね。あえて、一番のモノをあげてみたさ。

 そう、例えば僕が「絶対」を畏れているとしよう。僕は畏怖の対象から我が身を逃す為に何をするかな?保身の為の予防線、安心の為の逃走経路の確保ぐらいはするだろうね。そうしておけば日常生活において「絶対」に出くわす事はまず無い。

 だが、人生一度や二度や三度や四度くらいは、いや、もっともっとあるだろうか、哀しいかな僕らは「絶対」に出会わなければならない。それは君がそいつを「絶対」と認識するかどうかによるけれど、認識せざるを得ない状況で詭弁を使ってゆるい精神安定を図るのは、あまり得策じゃないと思うよ。

 「畏れ」に出くわしてしまったらどうするのか。大抵の人間はそいつとやすやすと対峙できるほどの力は持ち合わせて無いだろうね。だから、例えそれが「畏れ」の可能性、兆候程度でしかなかったとしても、どこかで、受け止めきれない感情が発生しているんじゃないかな。そしてそれを新たな「畏れ」としてリストに加え、君はさらなる予防線と逃走経路を求める事になる。

 そしてこれは、逃げ続けた結果という事になるのかな。「畏れ」から逃げるあまりに手も足も出なくなる、というのが僕の中では最悪のシナリオだよ。だって手も足も出なくなって、次の可能性が全て捥ぎ取られてしまった状況こそを、僕は 絶対絶命 と呼ぶのだから。

そのいち

2006/09/17 (Sun)


言葉も 手も 届かない位置

勇気が無いから かなわなくて


夜のとばりがおりるころ 

悲しみでできた 僕らの風が来る

何かをする時に

2006/09/17 (Sun)

 今日は少し私的な話を。あまり思索的な話では無いけれど、聞いてくれるとうれしい。


 皆で何かをしよう!という時に、初めから最後まで何の問題もなく上手く終わる事はとても難しい。けれど、どれだけ話し合いが熱くなっても、その事が終われば、意見の食い違いによる禍根が残ったりしないようにしよう、そうなるように努力しよう、と思っていたんだ。

 けれど現実はそこまで甘くなかった。話し合い自体が出来ない、話し合う習慣が無い、一人ひとりが全く異なる条件を持ってその場に立っていた。一人ひとりの立ち方からして別々なんだという事を思い知った。その上でまとまらない意見を具体案に変えていかなきゃならないし、日にちが迫っていた。

 先にのべた努力の他にも、自分には他にもやらなくてはいけない事があったんだよ。
 生来の仕切り屋でもない自分が、統括力など微塵も無い自分が、小学校の白集団長を適当なままに終わらせた自分が、事もあろうがノリノリだった一日目に喫茶「花音」でいこうぜ甘味処ってしようぜって言った張本人。田舎臭い言葉でいうなら、言いだしっぺ。
 どうすんねん、おれ。
 収拾つけられるのか?その前に俺が真ん中に居るなんて思っちゃいけないよ。みんなが主役だよ。その為に考えて考えて考えて更に考えながら、周囲に心配かけるような言動をとらないようにしなきゃいけない。出来ないと思うな。水の中では、息をできなくなった者から死んでいくんだ。水の中で息が出来るようにならなきゃいけない。


 あの状況を過労というかどうかは知らない。けれど、「これが終わったら役目は終わりだ死んでもいい」くらいの意気でいた。仕事で疲れて帰ってくる親父の気持ちがよくわかった。語気が荒くなる理由が分かった。
 けれど、言いだしっぺの自分は、たとえ精神が崩壊してもできるところまでは暴れる精神と体の総てをセーブし続ける事を覚えなければいけない。
 どれだけ、荒れる精神波に他人を巻き込んだか知れない。

 ようやく終わってみれば、感動より先に、終わってほっとした涙が出そうになった。まだ後片付けが残っていたけれど。
 

 ばらばらだった意見は、ばらばらのままだったかもしれない。けれど、数日間の祭典を締め括るセレモニーで、自分は、一つの小さな光明を見つけたような気になったのだ。
 成し遂げる事は、出来るのだと。


 

はてな

2006/09/16 (Sat)


平等と博愛の違い。誰ぞ知らぬ。

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