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思考社

いんふるえんす我丞の情報発信基地。

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2025/04/28 (Mon)

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精神の血

2009/12/07 (Mon)


私の生が刀なら  人を切り裂く ものとこころえ

けれど この身の歯こぼれを  守る鞘と 添いたいわがまま


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静かなる故郷

2009/11/14 (Sat)

久しぶりに故郷の土地に帰ってみると、自分が随分、東京に慣れてしまったことがわかる。それはもう、いっそ違和感と呼べるほどの静かさが私の故郷にはある・・・気がするのだ。

時間を少し戻そう。
夏休み中に、私はよく母に「前の方がきらきらしていた」と言われ、(・・・なんだそれは)と思っていた。それぐらい何もせずに感じる事に徹して、穏やかな隠居生活を送っていた。
いい言葉に置き換えると、これを人は蓄電と言います。これはこれで、大事。

その時は、前の自分=東京で忙しくしている自分のだと思ったので、(忙殺されていたあの状態には戻りたかないなぁ)という感想を持ったのだが、

一旦東京に戻り、

良い仲間に刺激される日々があると、

なにやら、故郷の安堵に埋もれた日々が馴染まなくなっているのだから、不思議だ。

はて、私は東京の色に染まっちまったのか?
と考えたりもするのだが、しかしよく考えてみると、俺は中学生の時から過激な奴だったなぁ・・・(笑)という記憶に思い当たる。
決して東京暮らしのせいばかりではないのだと。

血に根拠を求めるつもりはないが、そういえば、父も母も実家はこの地にはない。そして二人とも首都の風を受けて生きた事のある人間だ。

また、静岡でお世話になってきた人生の恩師達は、今は丸い顔してるが、時々東京の片鱗をキラリとのぞかせてはニヤリと笑う。かっちょええ。(訳:カッコイイ

そんなものも、私に影響を与えてきたのだろう。

ただ、ここで誤解して欲しくないのは
東京=大量消費文明・人間を物扱い
静岡=ゆっくりとした時間・人情味がある
構図では、全然ない。ってこと。

今までは俺もこう↑↑思ってたさ。
でもねー・・・。
東京の速度に流されず、自分のスピードを掴み、同じ希望を持って動いている仲間を見つけると、かえって、適度な刺激が得られる場所として使えるようになったんだ。
要するに、確かに↑の構図で言ってる事は間違ってないけど、それだけでもないって話。

で、今回帰郷直後に、異常な静けさのお堀端をバス停へと歩いてみると、逆に静岡の静かさってのは停滞とか、諦めによるものなんじゃないかとも考えられてね。

家へ帰るためのバス停に静かに立っていたら、空間に静かに飲まれて行くような心持がしてさ。
ふと気づいて見回すと、目に障る存在や色がなく渋い色に囲まれて、良くも悪くも耳に障る音がなく。

中学生の頃に思索ばかりしていたのは、決して自分が根暗な哲学馬鹿だったからではなく、この朝の登下校やベランダの静けさが修行には持ってこいだったから、身体が勝手にやっちまったんだろうな。

ともあれ、
目立ったものが無いのは、よくもあり、わるくもある。

例えば。
埋没して、周囲に溶け込んで生きられるのは一つのスキルだと、最近の小学生は思っているようだ。そうでないと差異に目をつけられていじめられてしまうから、と。
これは一種の和であるから、とりあえず同和の“よいこと”としよう。(これはこれで無理あるけど)

それに対して、セクシャルマイノリティとして生きる事、これはむしろ差異を認めたうえで共生を望むやり方だ。色々な要素を包括して共存する、これは同和にはできない芸当、同和の“わるいこと”だ。同和は違和をはじいてしまうからね。

唐突に“よいこと”、“わるいこと”と2極を上げたが、
人間白か黒かでは、生きては行かれない。
2色間で言うならグレイであり、RGBなんぞに位置を見ようものなら、3つの軸どころかホログラムにラメなんぞ入れたいほど、
それほどに人間は、個々の中に、様々なモノを持っている。
マイノリティの自覚と、自分の中にあるカオスさを認めた時から、こう考える事ができるようになった。
(まぁ、こんな極論振り回すようになったのは最近の話だと思うが)

だから静岡の、人を呑んで佇む静寂は空恐ろしい。
同じ密度と曇りになろうよと無言で誘ってくる、あの穏やかさは魅力でもあるが、同時に、自分が失われてしまうとも感じる。
しかしきっと、東京に戻ったらあの喧噪と梢の音がうるさいと感じるだろう。時間や人混み、セールに支配された街中を愛おしいとは決して言えない。

東京に染まったか、静岡の静寂に呑まれきったか、そのどちらか一方とは言えない自分が居るのだ。

ただ、今は、
東京で苛烈、あるいは華烈に生きる楽しさを知った私には、今現在の静岡はあまりに穏やかな隠遁の地であり、死にゆるゆると向かう諦念の心がへばりついているように見える。

決して、それとて悪くは無い。
あるいは、云十年後に摩耗した私がたどり着くには良い土地だ。
ただ、今ではない。

実家に帰ってくる途中で気付くには、あまりに配慮のない気付きだったかもしれない。
それでも、今気付けて良かったとも思う。

皆境目に立っている。
それぞれの道を行く。

さて、俺の道はどうなることか。

ただしいせいせいかつ! -オープンorクローズ-

2009/11/12 (Thu)

ゲイ、セクシャルマイノリティ、と聞くと、よくカミングアウト、という単語がついてくる。
よく聞くけど、当事者からするとカム(カミングアウトの略)て何?何が起こるの?てことを紹介します。

『カミングアウト』とは、
自分のセクシャリティを隠すために入っていたクローゼットから“出てくる(coming out)”ことを指す。

誰だって戸棚に隠した秘密の一つや二つは持っているもので。
でも、セクシャルマイノリティ当事者からすると、聞かれたら恥ずかしい・言えない黒歴史とカミングアウトを一緒にされるのは嫌だ、という人もいる。

なんでか、っていうとだね。
カミングアウトは生活基盤を揺るがすリスクがあるから。
「5歳の時におねしょしましたー」てレベルじゃないんですよ。言ったら、その人を見る視線が変わっちゃう可能性がある。「この人はおかしい」と思われたまま、生きていかなきゃならなくなる。
それはつらい。

それだけのリスクが発生する可能性があるもの、その中でも特にセクシュアリティに関する事が『カミングアウト』て、思っとくと誤解が減る、かな。


例えて言うなれば。
@コンビニのレジ横のHOTな食物

白い饅頭A 「私・・・君に言いたい事があるの」
肉まんB 「ん?なになに?」
白い饅頭A 「あなたと同じ棚に並んでるけど」
肉まんB 「うんそれがどうかした?」

ピザまんA「私、肉まんじゃなくて、ピザまんなの!!」
肉まんB 「何だって!?君、ここから出て行きたまえ!違和感たっぷりだ!!」


てかんじ?(笑)
「特に・・・違和感無い。そのぐらいの違いで箱から出ろはないでしょ」と思ったあなた、御の字です。


が、しかし。
多くの日本人(特に40代~上)は
「そーゆーのもあるらしいね。でも、よく知らないよ。自分とは関係ないよ」
という認識の人が多いようです。
肉まんの「出て行け」発言には及ばないけど、関心を持たないというのは、つまりセクシャルマイノリティの部分を無視するというニュアンスに近いものがあると感じます。臭いものには蓋。なかったことにする、等々。

そして、我丞の経験&知識上、「よく知らない」人の中には知らないモノに対する不安感や恐怖があることが多いです。

なので、あまり面識のない人が多い場所(例えば職場や地域の集まり)でカミングアウトすると、何故か“気味悪いもの扱い”されたり、露骨に避けられたりすることも、あるらしい。

これから一緒に活動していかねばならん!という時に、メンバーから疎外されるのは、精神的にキツイ。それに、生活行動を行う上でも周囲からの援助が得られないのは非ッ常ーに大変です。
あ、援助といっても、挨拶したり、日常会話したり、筆記用具貸してくれたり、という程度のことなんだけどね。

「同性愛ってこういうものなのか!」って興味持ってくれる人が少数でもいてくれれば、まだそこから理解の輪を広げていけるのですが・・・環境によっては中学・高校のいじめみたいな状況になる可能性もあります。要するに共同体での孤立ですね。

いやー、それはマジで勘弁してほしい。
というわけで、多くのセクシャルマイノリティはカミングアウトに消極的なのですよ。

現状、周りに溶け込むための自衛策として取れるのは、不用意にカムしないこと、くらいしかないので、みんなとても用心しいしい生きているようです。


だけど、セクシャルマイノリティって、“言わないとわからない、伝わらない”ことが多くて。
白いピザまんと同じで、黙ったままだと違いが見えない状態なものだから、肉まんは何に配慮したらいいか、気づいたらいいか全くわからんかった。相手が恋愛の話題を避けてるな、くらいにしかわかんなかった。
ということに、最近気がつきました。

なので、
今のところ我丞は、言う必要があったり、聞かれたりしたらあっさりとカムすることにしています。遠慮なく。当たり前の事で、それがどうかした?くらいの軽さで言ってます。質問疑問どんと来い★

言うのは、やっぱり少し緊張するし、「嫌われたらどーしよう」とか「疎外されたくはないな」とか考えますが、でもこれって別に隠さなきゃいけない事じゃないから。

たとえ今は日本人が「BLはいいけどリアルはやだ」とか言っていようとも、世界基準では「同性愛、OKじゃない?」って議論になってる国や州がけっこうあるんですよ。(アメリカだと議論になりすぎて危険な区域もありますが;;)

Tokyo在住の我丞の実感としては、年々言いやすくなってきていると感じています。特に、大学生くらい~下の年齢はいろいろな固定観念や慣習にとらわれてない人が多いようです。


ありがたいことに我丞の周りは同性愛に理解のある人が多く、そのおかげでこういう生き方が出来てるんだと感謝してます。恵まれてる実感がある、て幸せっすね。

というわけで、状況見つつのカムは全然OKだと思う!
あんまり知覚過敏になってると、今の世の中勿体無いぜ★

発表の仕方

2009/11/09 (Mon)

発表の仕方。

1.まず、誰かに手紙を書くように、、ですます調で、伝えたい内容を絞り込んで載せていく。
2.次に、話の流れと要点、補足の情報を、別の紙に張り付ける。
3.最後に、たくさんの人前で読むことを意識して、文章から、的を絞りすぎた呼びかけの言葉を抜く。

たぶん、これでちゃんとできると思う。
今日はその実験日だ。

木の向こうの、サバンナ

2009/11/04 (Wed)


twilight

跳躍、飛躍、火薬、爆発


シンプル、シンボル、静かな、自由


暗闇、羨み、悲しみ、佇む


まなざし、ひざし、いとおし、君

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HN:
我丞
性別:
非公開
職業:
人の話きく人
自己紹介:
人間27年生。
セクマイ道7年生くらい?
心理臨床とセクマイと発達凸凹を応援するよ!

ここにあることばと存在が、私のプロダクト。
見て、わからないことは聞いて。

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