思考社
いんふるえんす我丞の情報発信基地。
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knife and you and me
君の胸にナイフを刺さなくてはならないその時、
僕は自分の胸に同じナイフを刺そう。
君がその痛みに耐えられなくなった時には、
僕の胸に、君が抱えていたナイフを増やそう。
君に開いた傷痕に風が通るなら、
僕をナイフで切り取って、埋め戻してしまおう。
まるで、僕が
君といたコトなど、
いちども、なかったかのように。
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脳内辞書
昨今、魅力的という言葉を使うとき、人を好く、という意味で使うらしい。らしい、と言ったのは、私の頭の辞書には他の意味も載っており、複数の例文が登録してあるからだ。そして、さらに言うなら、第一の意味は「魅力とは、人間的な魅力である」と出る。
では例えば、魅力的な女性と言ったら何が魅力的なのか。脚線美か、流し目か、言葉づかいか、知性か。まぁ、色々ある。正直言って、数年ほど女子ばっかりの閉鎖環境に住んでいるおかげで、私の辞書からは魅力的な男性、というフレーズはページの隙間からいつの間にやらヒラリと出て行ってしまった。
そうなった根源を辿ろう。この例文登録はどこで行われているか。漢字と共に、主に小・中・高等学校で覚えていくのである。その後は日常会話や本が主な言語の摂取源となっていくわけだが、人間、そんなに大量の文章を、しかも万遍なく読むのは相当の暇人にしか出来ない芸当だ。毎日見聞きするとしても新聞やニュース、好きな小説といったところか。
私の場合は主食がライトノベル、副菜が授業プリント、テレビは基本的につけない生活なので、偏っているにも程がある。食べ物でいうなら、主食がちらし寿司で副菜に昆布だろうか。いや、比喩はどうでもよいとして、兎に角、偏っている。
このように、個人によって摂取する言語、文化は大きく異なる。勿論、日本語という基盤の上には載っているのだが、それでも個人間の相違というのは凄まじいものである。
では例えば、魅力的な女性と言ったら何が魅力的なのか。脚線美か、流し目か、言葉づかいか、知性か。まぁ、色々ある。正直言って、数年ほど女子ばっかりの閉鎖環境に住んでいるおかげで、私の辞書からは魅力的な男性、というフレーズはページの隙間からいつの間にやらヒラリと出て行ってしまった。
そうなった根源を辿ろう。この例文登録はどこで行われているか。漢字と共に、主に小・中・高等学校で覚えていくのである。その後は日常会話や本が主な言語の摂取源となっていくわけだが、人間、そんなに大量の文章を、しかも万遍なく読むのは相当の暇人にしか出来ない芸当だ。毎日見聞きするとしても新聞やニュース、好きな小説といったところか。
私の場合は主食がライトノベル、副菜が授業プリント、テレビは基本的につけない生活なので、偏っているにも程がある。食べ物でいうなら、主食がちらし寿司で副菜に昆布だろうか。いや、比喩はどうでもよいとして、兎に角、偏っている。
このように、個人によって摂取する言語、文化は大きく異なる。勿論、日本語という基盤の上には載っているのだが、それでも個人間の相違というのは凄まじいものである。
叩き潰される事
現代日本の、穏やかな日常生活。
更に首都東京の穏便な大学生生活とあらば、
ヲタクNEETもびっくりの平穏な、平和ボケしまくった日々であるはずだ。
だから、例えば自分が住んでいる集団で“何らかの革命”をおこそうとしたら、
そして自分がピラミッドの中腹辺りの人間ならば、
それはもちろん叩き潰されるのがオチなのである。
彼の場合着目すべきは、革命を起こそうと目論んだ本人が、叩き潰された事を悲しんでも、自分かわいそうだと思ってもいない事である。
きっと傍目に見れば一種の薄気味悪さを感じるであろう。
口元を彩るのはかすかな歓喜。否定された痛みは微塵もない。
負けたはずの人間が“負け”を“踏み台”に変換している。
それも、叩き潰されつつさる最中に。
一般常識から考えたら全くもってナンセンス、異常な光景であろう。
だが、本人が感じているのは戦場に闘う一兵卒と同質の高揚、自らが他者を圧しつつある時の戦慄であったりする。
そしてその本人に言わせてみれば、「このような感情をもって周囲の“その他大勢”が1人の抵抗を抑えつけることが出来ないのは、人生を損している」としか言えないのである。
では、何故この“ふつう考えられない”思考回路の切り替えが起こせるのだろうか。
“高揚あるいは自らが他者を圧しつつある時の戦慄”だけであれば、多少愚ではありながらも残酷な感情は大勢の側にも存在しうるであろう。社会一般の篭のうちに閉じ込めることの叶わない、つまり人数の多い少ない以外の要素が、ここにはあったと考えられる。
私はそれを、“目標”と呼びたい。
もちろん、今回何かを起こそうとして失敗した茶番の事を言うのではない。率直な感想を述べておくのであれば、何事も、初体験に失敗はつきものだという事を付け加えておきたい。
自らが予定する未来の中に、現在の自分には為し得ない壁を発見しているとき、その壁を破壊すべく動くための力と知識と技術とを得るための経験や努力への忍耐が生じる。この壁の向こうに得られるものを直感し、ただ黙って耐えるものも居るだろう。あるいは、そうあるべきものとして受け入れやりすごす者も居るだろう。
今回の場合には、自らが忍耐の渦中にあることを知り、また、確かに自分の未来へと道が繋げられていくことを直感して、彼は狂喜したのである。
更に首都東京の穏便な大学生生活とあらば、
ヲタクNEETもびっくりの平穏な、平和ボケしまくった日々であるはずだ。
だから、例えば自分が住んでいる集団で“何らかの革命”をおこそうとしたら、
そして自分がピラミッドの中腹辺りの人間ならば、
それはもちろん叩き潰されるのがオチなのである。
彼の場合着目すべきは、革命を起こそうと目論んだ本人が、叩き潰された事を悲しんでも、自分かわいそうだと思ってもいない事である。
きっと傍目に見れば一種の薄気味悪さを感じるであろう。
口元を彩るのはかすかな歓喜。否定された痛みは微塵もない。
負けたはずの人間が“負け”を“踏み台”に変換している。
それも、叩き潰されつつさる最中に。
一般常識から考えたら全くもってナンセンス、異常な光景であろう。
だが、本人が感じているのは戦場に闘う一兵卒と同質の高揚、自らが他者を圧しつつある時の戦慄であったりする。
そしてその本人に言わせてみれば、「このような感情をもって周囲の“その他大勢”が1人の抵抗を抑えつけることが出来ないのは、人生を損している」としか言えないのである。
では、何故この“ふつう考えられない”思考回路の切り替えが起こせるのだろうか。
“高揚あるいは自らが他者を圧しつつある時の戦慄”だけであれば、多少愚ではありながらも残酷な感情は大勢の側にも存在しうるであろう。社会一般の篭のうちに閉じ込めることの叶わない、つまり人数の多い少ない以外の要素が、ここにはあったと考えられる。
私はそれを、“目標”と呼びたい。
もちろん、今回何かを起こそうとして失敗した茶番の事を言うのではない。率直な感想を述べておくのであれば、何事も、初体験に失敗はつきものだという事を付け加えておきたい。
自らが予定する未来の中に、現在の自分には為し得ない壁を発見しているとき、その壁を破壊すべく動くための力と知識と技術とを得るための経験や努力への忍耐が生じる。この壁の向こうに得られるものを直感し、ただ黙って耐えるものも居るだろう。あるいは、そうあるべきものとして受け入れやりすごす者も居るだろう。
今回の場合には、自らが忍耐の渦中にあることを知り、また、確かに自分の未来へと道が繋げられていくことを直感して、彼は狂喜したのである。
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己
HN:
我丞
性別:
非公開
職業:
人の話きく人
自己紹介:
人間27年生。
セクマイ道7年生くらい?
心理臨床とセクマイと発達凸凹を応援するよ!
ここにあることばと存在が、私のプロダクト。
見て、わからないことは聞いて。
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